■遠足 Excursion■
ココアを飲もうとしたら粉をカップにぶちまけてしまい、仕方ないからカップから水筒に粉を移しお湯を注ぐ。
「どーしよっかな、これ。持ち歩いてたら完全に遠足だよな」
言ってから、自分は遠足などというものとは縁遠い生活をしてきたことに気付いて、葉はひとり苦笑する。
「せっかくだから、星でも見にいくか」
珍しく感傷的な気持ちを抱きながら、それもまたいいかと甲板からブリッジの上へと登ると、先客がいた。
「真木さん」
暗闇の中にいたのは真木だった。葉の服のように安くはないであろう黒のスーツ姿で、頓着する様子もなくごろりと横になって空を仰いでいる。
「葉か、どうした、こんな時間に」
「そりゃこっちの台詞――寒くない?」
時刻は夜で、風も出てきている。葉だって厚手のパーカーを着ているのに、真木の服装はいかにも寒々しい。
「ああ、少しな」
「でしょー」
そう言うと葉は真木の隣に座る――寄り添うように。
「葉、近い」
「うんそう、わざと」
「……」
「ココア飲む?」
「いらん」
それじゃあ、と葉はひとりでカップにココアを注いで口を付ける。
暖かい液体が身体の中に流れ込んできて、身体を温める。カップを持った指先がじんわりと温かい。
「魔法瓶にココアを入れて持ち歩いているのか。遠足気分だな」
真木が自分と同じ感想を抱いたのがおかしくて、葉は思わずぷっと吹き出してしまった。
「何がおかしい」
「いや、俺もそう思ったんだけどね、よく考えたら遠足って行ったことないなーって」
「行っただろう」
「え?」
真木が上半身を半ば起こしながら笑う。
「お前が遠足に行きたいって言い出して、紅葉と三人で山に登っただろう。忘れたのか?」
「えーと……いつの話?」
「十歳だ。忘れたとは言わせないぞ。道に迷って野宿しそうになった」
「ああ!」
そういえば、あった。
「あれって遠足だったんだ」
「やれやれ、言い出しっぺが覚えていないとはな」
真木が上体を起こす。葉と寄り添うような距離のままで。
「自分が言い出したのは覚えてないけど、迷ったのは覚えてるよ。だんだん暗くなって、会話もなくなって、とにかくひたすら下ったんだよね」
「あの頃は山歩きの知識なんぞなかったからな。疲れたら三人で身を寄せ合って――今みたいに」
真木がクスリと笑うから、葉も笑い返す。
「そうだった。三人だと暖かくて、でも空を見てたら、だんだん細かいことはどうでもよくなってきてさ」
「お前、結局最期まで泣かなかったな」
「星が綺麗だったから。今みたいに、ね」
「なるほどな。いつもなら真っ先に少佐の名を呼んで泣き出す葉が、静かだったから変だと思っていた」
「変はひどいなー」
そして葉は空を仰ぐ。
「もう泣かないよ。少佐がいてくれるってだけでなくてさ」
「そうだな。俺もあの後山については散々研究した。今なら迷わない自信がある」
「どうかなー?」
「おいおい」
それきり会話は途切れ、真木もまた空を仰いで星を見る。口を開いたのは葉だった。
「……あの時誰かが、少佐の名前を出してたら、あの山を下りきれなかったような気がする。俺だけかもしれないけど」
「いや」
真木は上を向いたまま葉に応える。
「俺も、葉か紅葉のうちどちらかがそう言い出さないかずっと心配だった」
「そっかあ」
兵部は万能のヒーローじゃない。ピンチの時はいつでもどこへでもやって来る訳ではない。
自分たちの力で道を切り開かないと生きていけないことを、あのときにはすでに三人ともが理解していたのだろう。
「ま、その日のうちに山を降りられたんだから、いいでしょ」
「そうだな。思い出にとどめるのがいいだろう。――ココア、もらえるか」
「どうぞ」
葉はボトルを出すと真木にカップを持たせてココアを注ぐ。
小さなカップと水筒の口から、温かな湯気が立ち上っていた。
<終>
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お題:「夜の屋上」で登場人物が「寄り添う」、「ココア」という単語を使ったお話を考えて下さい。
お題はベタベタなんですが内容もベタベタでした・・・幼少期捏造おいしいです。
お気に召しましたならぽちっとな。