■飛行機の下で eternal■
カタストロフィ号が停泊している港から少し離れた場所にビーチがあり、道路一本挟んでイルミネーション溢れるカジノ併設型の観光用ホテルが並び、そのビルの群を飛び越したところにこの島の空港はある。
夕方の海辺でくつろいでいるところに、かなり遠くから飛行機の姿を確認していた葉だったが、至近距離をオン・アプローチしていく機体は大きく、迫力がある。
「近っ!」
手を伸ばすとそれこそ届くのではないかと思うくらいスレスレを飛んでいく飛行機を目で追いかけていると、反対側から声をかけられた。
「葉」
「そーらーを自由にー、飛びたいなー……ってジジイじゃん」
鼻歌交じりで答えると、その人物は嫌そうな顔をして葉を睨む。
「ジジイじゃない、少佐」
「はい、少佐」
いつも通りのかけあいにほっとしながらも、葉は兵部に近づいていく。目線の先にはいつもと同じ詰め襟の学生服。開襟シャツにハーフパンツの葉とは対照的だ。
いや、ビーチに集う水着姿の海水浴客からしてみれば、この暑いのに黒づくめの姿は不可思議にすら思えるだろう。
「いつもそんな恰好で暑くない?」
これはこの島に来てから一度は聞いてみたかったことだった。そうでなくとも過去に同様の質問をしたような気はするが、毎度はぐらかされてきたような。
が、今日は違った。
嫌そうな顔はそのまま、兵部は葉とのアイコンタクトを外して海を見た。
「うるさいな。これは喪服なんだよ」
「喪服って、誰が死んだのさ」
近頃パンドラのメンバーで死人は出ていない。もし、過去の話だとしても、大戦終了の数日前、兵部を裏切ったいけ好かない上官を殺したということは聞いていたが、そんな人物相手に殊勝になる兵部だとも思えない。
「僕さ」
その横顔に、いつかの夏の沖縄行きが重なる。
あの時、皆が海水浴だと喜ぶ最中、兵部は一人海へと向かい、白百合の花を捧げていたっけ。
――今年も、もうすぐ夏が来る。全てが終わった夏。闘争の記憶。なにも終わっていない戦争。
「今年も、沖縄行くの?」
「んー、どうだろうなあ」
――今年も、忘れないで生きていくの?辛い記憶を、悲しい過去を、憎しみの色に塗り替えて。
「今は何も決めてないや」
「やめようぜ、沖縄はさ」
ついぶっきらぼうな言い方になる。過去に思いを馳せることで今を失って欲しくない。自分だけではない。真木も、紅葉も、同じようなことを言うはずだ。
ふいに、真木もいつも黒スーツであることに思い至る。もしかして真木は、兵部の学生服が喪服であることを知らされているのかもしれない。それにあわせて、自分も黒ずくめの服装でいるのかもしれない。
「どうしたのさ、急に」
「去年も行ったろ。それに……」
それに、できればあんな顔は見たくない。
追悼するなと言っているわけではない。ただ一刻でも長く、笑っていて欲しいだけなのだ。
「確かに、去年も行ったね。うん、今年はどこか別にしようか」
「ニースとかどうよ?避暑ってんなら、近場でだって山とかあるじゃん。蓼科とか、そのへん」
「悪くないね」
海風に髪をなびかせて佇む兵部は、近頃よく微熱だといって休むことが多くなった。今日も午前中は部屋から出てこなかった。
実のところ、一度だけ兵部が薬らしきものを隠し持っている姿を目撃したことがある。葉の気配に気付いてあわてて懐に仕舞うと、その後なんの変わりもなく真木と仕事の話をしていたが、もしかしたら真木にすらその薬を飲んでいることは秘密にしているのかもしれない。
薬で繋いでいる命。とてもそうは思えない。思いたくないだけかもしれないが。
「でも山っていうなら思い切ってヒマラヤなんかもどう?あそこはいい。地球上で永劫を感じられる数少ない場所だよ」
今だって、平気で山と永劫の話なんかしている。
目の前の、その気になれば手に抱くことだってできる肉体を持つその存在が、既に死んだものだなんて、思えるはずがない。
それが薬で繋いでいる命だとしても。生は生だ。
「アンタにとって永劫って何よ?」
「うーん……」
顎に手をあてて兵部は少し考える。
「憧れ、かな」
「なにそれ」
わかる気がした。が、同時に、わかってはいけないとも思った。だから咄嗟に否定的な言葉を選んでしまった。そんな葉にお構いなく兵部は海のむこうを見たままだ。
「肉体の死だけが死なわけじゃないよ、葉」
「そりゃあ、そうだけど」
「永劫にはそれがない。生とか死とかを超越して、ただ過ぎていくだけ。その感覚を、君たちにも感じてみてほしいな」
「……ちぇ、ずるいでやんの」
そう言われると、否定することもできなくなる。
つまるところ葉は、兵部に生者でいてほしいのだ。ふと気付くと肉体的にも精神的にも死者のほうに足を踏み入れようとしている姿を何度も見ているから、それを超越するものがあると言われると、もう頷くくらいしかできることはない。せいいっぱい、嫌そうな顔をする程度が限界だ。
「まぁ、でも、ヒマラヤは却下な」
「何だい、気に食わないかい?」
「俺はまだ感じたくない。永劫とか、そういうさ、死者の側に近づくような場所に行くのは嫌なの」
「だから沖縄も嫌なのかい?」
はっとして振り扇ぐと、遠くを見ていたはずの兵部は、葉に向かって悲しげに微笑を浮かべている。
「……そうだよ。アンタが連れていかれそうで不安なんだよ。自分の喪服とか言ってさ。死に溺れたがってるみたいに、見える」
どうせ全て読まれているであろう心中を吐露すると、何か毒でも吐き出した後のように身体に力がわいてくる気がした。
遠くからまた飛行機が飛んでくる音が聞こえる。会話も困難になりつつある中、頭上に飛行機がさしかかった時葉は兵部の腕を取って引き寄せながら呟くように言った。
「アンタは俺にとって――――だから」
耳から音として聞くことは困難だったろう言葉は、兵部に届いたかどうかわからない。
飛行機が去ると、兵部は頷きながら会話を転換した。
「でも蓼科はやめよう、ちょっと近場すぎるからさ。グランド・キャニオンなんてどうかな?ベガスも近いし、葉の好きなカジノも沢山あるよ」
「それなら、いいよ」
兵部を引き留められるなら。
「大丈夫だよ、僕は一度死んだけど、もう一度死ぬのはまだ、もう少し後だから」
「一度死んだとかもう少しとか言うなよ。アンタ今生きてるじゃないか。これからだって、長生きして大往生すんだろ?」
「そうだね。そうだと、いいね」
「そうするんだよ!」
子供のわがままだと分かってはいる。けれど目の前の笑顔が儚すぎて、言わずにいられない。
「……努力するよ」
兵部はもう一度笑ってみせたが、葉は何故かその笑顔を見たくなくて、目を逸らした。
「……帰ろ」
「はいはい」
葉が目を伏せたまま兵部の手を引いて歩き出すと、兵部は素直につき従う。
その目に浮かぶ光を、知るものは誰もいなかった。
<終>
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お題:「夕方の海辺」で登場人物が「溺れる」、「イルミネーション」という単語を使ったお話を考えて下さい。
書いてる途中で某本を読んだらそっちに引きずられてしまいました・・・。なんというかオリジナリティが足りない。クオリティも(もとから)足りない。
お返事