■チョコレートと香辛料 Chocolate and spice■
カジノのホテルに泊まったのは、たまたま他にちょうどいい宿が見あたらなかっただけの話だったが、失敗だったかもしれない。
「葉の奴……」
紅葉の報告に苦々しい声で真木が呻くと、紅葉も苦笑いで口を開く。
「まーロケーションがロケーションだから、仕方ないわよ」
当然のことだが、ホテルの客はカジノに出入りしやすいように建物が造られている。
「しかし、カジノに入り浸りというのはどうかと思うのだが。あれでもパンドラの中では年長者なのだし」
「あれでも、とか言われるからカジノに逃げたんじゃないの?」
真木の葉に対する末っ子扱いに肩をすくめる紅葉を、真木はじろりと見たがすぐに項垂れた。
「せめてビーチでくつろぐ程度にしてほしいものだ」
ため息と共に心中で考えていたことがぽろりと口から零れ出た。
「日がな一日ナンパしてるかもよ?」
「……あり得る」
南の楽園は葉にとって本当に楽園らしい。ホテル内でいつものスーツ姿で仕事に忙殺されっぱなしの真木とは対照的だ。紅葉はビーチではなくホテルのプールから戻る途中に葉を見かけたらしいが。と、この場にいないもう一人のことをはたと思い出して紅葉に質問する。
「ところで、少佐は?」
「まだ熱が下がりきってないみたいだから、部屋で安静にしてもらってるわ」
「そうか」
兵部のほうの体調もあまり芳しくなく、朝から微熱で寝込んでいる。
「食事は?」
「ルームサービスを。少し残してたけど、様子は普段どおりみたいだったわよ。午後には熱も下がるんじゃないかしら」
「それならいいのだが……」
部屋に様子を見にいこうかとも思うが、逆に就寝中で起こすことになったりするのは不本意だ。悩む真木に、紅葉がにっこり笑って袖を引く。
「それよりも、ねえ真木ちゃん、お昼食べた?」
「いや、まだだが」
「じゃ、食事にしない?お腹に何も入れないで思い悩んでばかりいると、よくない考えになっちゃうわよ」
紅葉の至極まっとうな言葉に、真木は頷いた。
食事がしたいと伝えたはずなのに、案内されたのはカジノの一角にあるカウンターだった。
よく見ればその周囲にテーブルが配置されており、たしかに真木たちの望むような軽食をつまんでいる者もいる。
「どうあっても、ホテルの客をカジノの客にしたいらしいな」
メニューを見ながらつぶやく真木に、紅葉も苦笑で同意する。その時、ウェイターが注文をききに来た。
「エビとアボガドのクラブハウスサンドとグリーンサラダを」
「あたしはカリカリベーコンとチーズのサンドと、それからホットチョコレート」
真木の意外そうな顔には気付かず、ウェイターは粛々とキッチンへと戻っていった。
「チョコレート?」
「悪いかしら?飲みたいと思ったから選んだんだけど」
「いや、てっきり同じようなものを頼むと思っていたのでな」
偏食家の兵部に育てられた割に、紅葉は健康的な食生活を好む。肉と野菜のバランスなどは大切にしていると認識していたのだが。
「何故、サラダじゃなくてチョコレートを?」
「気分よ、気分。女の子は、チョコレートとスパイスとたくさんの素敵なもので出来ているのよ」
「なんだそれは」
「いいじゃない。甘いもの口にすると気持ちがゆったりするのよ。かわりに葉はあたしがとっちめてビーチに放り出しておいてあげるから」
わけのわからない理論と、葉とチョコレートにどう関係があるのだろうと問いたい気持ちにもなったが、食後にも積み上がっている仕事の案件を思い浮かべた真木はただ一言。
「助かる」
とだけ口にした。
サンドとサラダとチョコレートが運ばれてくるまで、あと少し。
<終>
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お題:「昼のレストラン」で登場人物が「選ぶ」、「チョコレート」という単語を使ったお話を考えて下さい。
微妙に前回の続き、というか少し巻戻った感じを意識しました。ロケーションが一緒なだけとも言う。
女の子はチョコレートとスパイスとたくさんの素敵なものでできている、というのは昔どこかで聞いた気がしたフレーズだったんですが、正しくはチョコレートではなくお砂糖のようです。マザーグースかなんかじゃないかな。よく知らないけど。気になって調べた人がいたなら結果を教えていただけると有り難く候。
いつもありがとうございます!