■時の波 wave■
寄せては返す波の音に身を浸すと、長袖の内側を風が通って昼間の熱気が嘘のように消えていくのを感じる。
夜風に当たりたくてここまで来たものの、このまま砂浜に腰を下ろすべきか適当な岩場を探すべきかと悩んでいた葉に、後ろから声がかけられる。
「葉」
「……ジジイ」
振り返らなくても分かるが、あえて振り返る。深夜の海辺に浮かぶのは学生服姿の兵部だった。
「誰がジジイだって?」
「いててて、いたいいたい、わかった!もう言わねーよ」
念動力で耳を引っ張り上げられるとたまらず悲鳴をあげる。
「それならよろしい」
兵部は音もなく着地すると、葉の隣へとやってくる。
「どうしたの、こんな月も出ていない夜に」
「そっちこそ、なんで俺がいる場所わかるんだよ」
拘束を解かれた耳をゆっくりとさすりながら兵部の言葉に答える。
「窓の外を見ていたら君がカタストロフィ号から飛んで出て行くのが見えたんだよ」
「ひゃー、老眼なのに目ざといなー」
「老眼がなんだって?」
今度はさっき引っ張り上げられたのとは逆の耳を引っ張られる。
「いていていて、わかったから!」
オーバーに両耳を覆うと兵部の力も止まる。
「ほんとにもう、どうしてこんな口の悪い子に育っちゃったかな」
「育て親の影響じゃねーの?」
今度は兵部が苦笑いをする。闇に慣れた目にはかろうじてその表情が読み取れた。
「僕も真木達も口は悪くないよ?本人の資質の問題だと思うけどなあ」
「そーかもな」
今度は葉が苦笑いする番だった。今の自分は嫌いじゃない。自分で選んで、今の自分になった。ならばそれを資質と呼ぶのだろう。
「パンドラはリベラルなところだから」
「そう作ったのはアンタだぜ」
「まあね。でも、クイーン達がリーダーになったら、ちゃんと従うんだよ。約束だよ」
「……なんで俺に言うんだよ。そんな約束、知らねーよ」
突然のリーダー交代宣言に、思わず声が固くなる。
せっかく二人きりでいるのに、自分の望まない未来の話なんかしたくない。
力任せに肩を掴んで引き寄せると、なんの抵抗もなく兵部の身体は葉の胸の中に収まった。
「俺はアンタ以外をリーダーだなんて認めない」
「――そのうち嫌でも認めることになる」
「うるさい!」
その唇に自分の唇を重ねて、黙らせる。
唐突で一方的なキスにしかし、兵部はなんの抵抗も見せなかった。それがまた腹立たしい。
「……俺なんかのキスじゃ全然余裕ってわけ?」
疑念は寄せては返す波のように。
「言ってることがさっぱりわからないよ、葉」
打ち寄せて、遠ざかったと思えばまたすぐそこまでやって来ている。
「俺にもわかってねーよ。このまま全部止まればいいってこと以外は」
繰り返す、何度でも。
「何それ――んっ」
クスリと笑った兵部の吐息を葉はまたキスで閉じこめる。
新しいリーダーも、パンドラさえも、どうでもよかった。
今このまま時が止まってくれるのであれば。
波の音が止まってくれるのであれば。
<終>
-----
お題:「深夜の海辺」で登場人物が「約束する」、「長袖」という単語を使ったお話を考えて下さい。
もう二、三度薫がクイーンとしての資質を見せつければ意外とコロッといってくれそう説のある葉ちゃんですが、本人は不本意だろうなーとか思っていたらこんな感じになりました。
因果は寄せる波の如く、はNOIRの第三話予告からいただきました。
拍手ありがとうございます。コメントも嬉しいです!
お返事