■風鈴 gone with the wind■
無風の室内に涼やかな音が響く。真木が日本みやげと称してミーティングルームに持ち込んだ風鈴だ。ガラス細工のそれは見た目も音もかわいらしいということでエアコン完備の近代的な建物で働く人々にも好評で、今もミーティングという名の人待ちに疲れた人々のうち数人は見るともなしに風鈴を見ていた。
その風鈴がチリン、チリンと二度鳴ったところで真木が席を立つ。
「失礼」
周りの者に席を外す旨を伝えて部屋を出たところで、来客用の紅茶を持った秘書の一人と行き会った。
「補佐官?ミーティングは?」
秘書官の目からしてみれば真木はパンドラの幹部ではなく、オカマノフ大使の補佐官のひとり、である。今頃ミーティング中のはずだが、他の補佐官もミーティングに出席している――席を立つと伝えた相手だ――上に、今は相手が来るのを待っているところだったので、席を立っても大丈夫と判断したことを彼女はまだ知らないのだ。
「まだまだ始まる気配がない。少し別件を思い出したので、席を外す」
「わかりました」
有能な秘書官は優雅な所作で道を譲り真木を見送ると、入れ違いにミーティングルームへと入っていく。
手持ち無沙汰といった面持ちでいるメンバーの中の一人が真木の持ってきた風鈴を「あれはなんだ」と近くにいた者に聞く。
「ニホンの飾り物だとさ。あの音で涼を取るらしい。風流な事じゃないか」
「ああ、さっきの鈴のような音はあれでしたか。けど、風もないのに鳴ってませんでしたか?」
建物の裏側に隠れるように出ると、前もって打ち合わせてあった路地裏へ向かう。
日は大分傾きもはや黄昏時と言っても過言ではなかったが、そこに立っている人影を見間違うことはない。
「少佐」
「やあ、真木。ご苦労さま。今、大丈夫?」
「少しの間なら」
「怪しまれなかったかい?風鈴」
「それは大丈夫でした」
室内で、風もないのに風鈴が鳴ったのは今真木の目の前でクスリと笑った兵部の超能力――サイコキノによるものだ。ここの路地の一角にある廃墟にカタストロフィ号とここロビエト本国を結ぶ「ゲート」が設置されており、電話や携帯での連絡には向かない類のことがらは風鈴を合図にこの路地裏で落ち合って話すことになっていた。まさか兵部自らが来るとは思っていなかったが。
「何か問題でも?」
「それが実はね」
内緒話をするように口の脇に手をあてて真木を呼ぶ。そこに耳を近づけて言われた一言は。
「君を攫いに来たんだ。駆け落ちしに、ね」
「……えええぇえっ1?」
それは全てを捨てて、ということだろうか。
「なーんてことだったら、面白かったと思わない?」
「……心臓に悪いからやめてください……」
よく考えたら万に一つでもそんな可能性はないのだ。パンドラや、ノーマルとの戦争や、クイーン達、その全てを捨てて二人でどこかへ逃げるなどということは。
「想像した?どうだった?」
「悪趣味ですよ!」
「せっかくの密会にちょうどいいネタだと思ったんだけど――まあいいや、安心した」
「はい?」
唐突に話題を転換されてついていけない。けれど兵部は言葉の通り穏やかな顔をして言葉を続ける。
「その様子だと、仕事は順調に進んでるんだろう?」
「はい。今のところはつつがなく」
ならいい、と頷くと、つかつかと歩み寄って来て真木の髪に手を掛けると、ぐいっと引っ張られる。
「痛っ、痛いです――んっ」
たまらず屈み込んだ所に、唇に柔らかい感触が当たる。驚いて目を見開くと、視界には兵部の伏せた睫毛が揺れる様が写った。その儚さに心を打たれて動けなくなる。
「――さて、僕は帰るよ」
「あ……まさか、仕事の進捗状況を聞くためだけに?」
事の推移を聞くためだけにわざわざやって来たのだろうか。
「まさか、違うよ。言ったろう、密会だって。忍び会いに来たんだよ。悪かったかな?」
「いえ、いいえ……!」
キスまで贈られて、真木にとっては思ってもみなかった僥倖だった。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。じゃ、僕はこれで」
「あ、少佐」
「ん?」
キスの後で真木から一歩引いた兵部に声をかける。
「その、ひょっとしたら予定より早く帰れるかもしれませんので」
何故か決死の思いで紡ぎ出した言葉に、兵部が微笑む。
「そう。じゃ、君が一刻も早く戻るのを待ってるから。あまり遅いと本当に攫っちゃうよ?」
と告げて、ふわりと笑うと、笑顔の面影だけを残してその場から姿がかき消えた。ゲートまでテレポートで戻ったのだろう。宵闇の迫る路地裏に残されたのはほこりっぽい風だけだ。
「あの人は……風と共に去りぬ、とでもいったところか」
呟くと、真木は無意識に自分の唇をなぞるように指の腹を当てて、残された感触を思い出す。
懐かしい我が家――遙か遠くに思うカタストロフィ号への郷愁の念が、今日は不思議と心地よかった。
<終>
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お題:「夕方の路地裏」で登場人物が「密会する」、「風」という単語を使ったお話を考えて下さい。
ここらでそろそろ真木さんには紛争地帯あたりに飛び込んでもらいたかったのですが、いまいち結びつかなかったので無難に海外の建物が舞台になりました。文章力が切実に欲しいです。ギギギ。
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