■苦いお酒 bitter■
夕暮れを前に街は朱に染まっている。
先方の要望通りに兵部は橙色のバラの花束を持ち、真木を連れて雑居ビルへと向かう。「メディカルモール」と掲げられた近代的な作りのビルには医療関係の事務所や診察所がテナントとして入っており、近くの高級マンション街からひっきりなしに患者がやってくる。そのうちの七階フロア全体を使っている美容外科が今日の真木と兵部の行き先だった。
「やれやれ、女性のおもりは世話が焼ける」
「なかなか楽しそうでしたが?」
ビルの警備員の前を通りエレベーターへと向かいながらぼやいた兵部を真木が笑う。赤や白なんてありふれた色じゃだめだ、ガーベラもかすみ草も似合わない、彼女にはもっと元気の出る明るい色がふさわしい、などと花屋の店員を困らせて、結局橙色のバラの花束に落ち着いた。
美容外科の院長はパンドラの協力員で、レベル4の|接触感応能力者≪サイコメトラ≫だ。心を読むことで、患者が自分の身体のどの部分をどう変えたいのかを正確に把握することができる。おかげでここのモールでは一番流行っており、パンドラの他のメンバーのように二十四時間をパンドラのために割くことはできない。こういった面子のことは「構成員」というよりもく「協力員」「資金援助者」などと呼ぶ場合が多い。
「パンドラのメンバーが私の診察室に立ち入る時は花束を持ってくること」という条件を出したのも彼女――サラのほうからだ。「五十のオバサンになっても、花束は嬉しいものよ」などど言ってのけるサラは超能力のこともパンドラのことも社会的には隠していて、目の前の相手の素性について|透視≪み≫ればわかるけれど、そのためには触れないといけない。こういう合図を前もって出しておくと、ビルに入る前からサラはこちらのことを把握できる、というわけだ。
チン、と音を立ててエレベーターの扉が開くと、小さな密室へと兵部と真木の二人が立ち入る。他に客はいない。七階のボタンを押すとエレベーターの扉が閉まり、少しの間を置いてエレベーターが上へと動き出す。
「外が見えますね」
入って正面を見るとエレベーターの前には機械やワイヤー類ごしに街の風景が広がっており、強化ガラスごしにでもその美しさを堪能することができた。
「一言に都市と言っても、日本とはまるで違うね」
「年中夏のような街ですから。近代的な建物も増えてますが、なんというか、陽気で――」
その時、ビシン!という破裂音のような亀裂の入ったような音が響くとエレベーターの速度が低下する。
「なに?」
「待って下さい、今何かが……!」
そしてもう一度同じような音が入ると、今度は頭上からメキメキという大きな音が聞こえてくる。明らかに異常だ。
真木が背中の翼を広げながら兵部のほうを向き直って見た瞬間、エレベータはバキ!と音を立て、一気に落下していった。そう、重力に則った速さで。
最上階でエレベーターの落下の細工をしてきた二人が階段から戻ると、全員がその場に揃った。
一階のエレベーター付近では銃を構えた三人の男と、ビルの警備員が一人武器を構えていた。
「どのくらいのレベルのエスパーか知らないが、相当のダメージになってるはずさ」
「それでも、このビルの中のどいつがエスパーなのかがわからないと意味がないぜ」
「ぺしゃんこになっちまってるかもなあ」
ゲラゲラと笑う男達のうちの一人はビルの警備員の服を着ている。
男達は総出で手に持った工具を使い、一階のエレベーターの扉をこじ開ける。
「注意しろよ」
「…これは……!」
そこは見事に無人だった。乗っているのは瓦礫ばかり。押しつぶされたというわけでもなさそうだった。
「どういう、ことだ?」
「簡単だよ、僕がテレポートで脱出したのさ」
全員の注意力がエレベーターの方へと向いていたので、完全に後ろを取られる形となった男達が見たものは、埃ひとつない姿で花束を持つ少年と、その後ろで不吉な黒い翼を広げた眼光鋭い男の姿だった。
「野郎っ!」
「この腐れエスパーが!」
男達が一斉に銃弾を撃ち出すが、目に見えない壁に阻まれて空中で静止する。
「君たち腕は悪くないね。どこかに雇われたのかな?」
「違う。我々は、『普通の人々』だ!我々はどこにでもいる!!」
銃がきかないということにうろたえる仲間達の中で一人だけ兵部の言葉に答えたのは警備員の男だった。
「我らのような非力なノーマルが訪れるビルに、超能力者がいてはいけない!」
「真木、彼から事情を引きだそう」
兵部がそう言うと、真木の翼――炭素繊維が鎌のように細く不吉に伸びて、男の身体を束縛する。
「残りの君たちは、見事に僕の頭を正確に狙撃しようとしたお礼に、同じ場所に当ててあげるね」
男達がその言葉の意味することをどこまで理解したか――
兵部がパチンと指をはじくと、次の瞬間には残りの三人の脳天に、正確に銃弾が撃ち込まれた。
橙色のバラは院長室に活けられてその美しさを誇っていたが、応接用のソファに座ったサラの表情は硬い。
「そう、警備員のブラウンが『普通の人々』……」
「僕らがエスパーであるってことは、花屋で花を選ぶ時にうっかり君のことを口にしたのが原因だったらしい。そこから、行き先にエスパーがいるってことも気付いたと……本当にすまない」
兵部が素直に頭を下げると、サラは沈痛な顔で伏せながらも首を振った。
「ここ最近、エスパーは出て行け、っていうビラがビルのあちこちに貼られてたりして、物騒だったから……二人が来てくれなくても同じ事になったと思うわ。今にして思えば、ブラウンがやっていたのね」
「残りの奴らと一緒に始末する前にブラウンの頭を覗いたけど、君がエスパーだとはバレていないし、今回の作戦に賛同したもう三人以外には僕らのことも誰にも知られていない」
そして当の四人は今頃運河の底だ。
「ありがとう、少佐、真木さん。私、できればここで今の仕事を続けたい」
意志の強い瞳に、真木が頷く。
「今度は気付かれないように監視をつける。しばしの間許可してくれるか?」
「ええ、お願いするわ」
「エレベーターはブラウンが壊して、以後犯人は行方不明ってことになるだろう」
「ええ……」
返答に元気がない。仕方ないだろう、と真木は思う。さっきまでの口ぶりでは、どうもブラウンとやらとは互いの名前を知る程度には面識があったようだし、そもそもエスパーだというだけで問答無用で銃の引き金を引くような輩があちこちに隠れているということを想像するのは愉快な話ではない。
けれどサラは気丈だった。
「ところで今日は、どうして来てくれたの?」
「いやだなぁ、サラ、忘れたのかい?」
サラを慰めるように曇りのない笑顔を浮かべた兵部が告げた。
「今日は君と僕らが出会った記念の日じゃないか」
「あ……!」
思い出した、とばかりにサラは目を見開いた。真木の頬も緩む。
「せっかくだから、夕飯でも一緒にどう?」
兵部がサラを誘うと、少し考え込む顔をして。
「アルコールのあるお店がいいわ。ちょっと飲みたい気分なの」
そして努めて明るく笑う。
気丈な笑顔に痛々しさを感じながらも真木は思った。
きっと今日の酒は、いつもより苦いに違いない、と。
<終>
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お題:「夕方のエレベーター」で登場人物が「落ちる」、「花」という単語を使ったお話を考えて下さい。
舞台は中南米のどっかの大都市です。ええ、マイアミをイメージしました。しかしお題、難しいぞこれ!!
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