■ビニール傘 umbrella■
駅の売店で500円玉と引き替えにビニール傘を手に入れると、出口ですぐに傘を開いて空を仰ぐ。とある地方都市、透明の傘にパラパラと落ちてくる雨足は比較的激しく、傘の裾から大粒の雨がしたたり落ちていく。
「少佐!」
呼ばれて振り返ると、駅前のロータリーに車を停車させた真木が黒い蝙蝠傘を持って駈けてくるのが見える。
「真木」
「お待たせしました。傘お持ちだったんですね」
「ううん、今売店で買った」
真木は大きな肩をすくめて申し訳なさそうに謝罪する。
「遅くなって申し訳ありませんでした」
「駅前で車ってしか聞いてなかったから、散歩がてらそのへんの駐車場を探そうかと思ってたところだよ。案外時間がかかったね」
「急いだのですが……もう少し早くに着いていたら少佐に傘を買わせずに済みましたものを」
これには兵部は心中で少しだけムッとする。傘が欲しいから買ったのだ。でなければ、いくら雨の中はテレポートし辛いとはいえ真木の車を目視で確認してそこへテレポートすることのできない兵部ではない。超能力者としてのつまらないアイデンティティだが、気付かれないとそれは一層つまらないものだ。
「君ね、その図体で僕と相合い傘する気かい?」
「――たしかに、おっしゃる通りです」
「だろ?」
真木が顎に親指を当てて小さく吹き出すと、兵部もつられて笑う。
「さ、行こう、時間はもう少ししかないんだろう?」
情報によると取引の時間はもうじきだったはずだ。とはいっても、パンドラが誰かと直接取引をする訳ではなく、異なる二つの団体が取引する現物――指向性ECCM――と、それを受け取る側の用意した現金をあわよくば両方いただいてしまおうという内容だ。葉たちと情報を吟味している時の『これ、取引の時間に今からでも間に合うんじゃない?』という紅葉の提案によって成立したアバウトな任務だ。
「ではそのままでしばらく待っていただけますか、車を目立たない場所に隠してきますので」
「そうだね――!?」
パン、と破裂音が一発。雨の休日の、時刻も黄昏時であるせいか、その異音に注意を払うものはいない――兵部と真木以外には。
「今のは、銃声!?」
「だと、思う」
二人はその場から銃声のした裏通りのほうへと駈けていった。
人通りのない裏通りには不自然に黒塗りのバンが通路を塞ぐ形で横付けされており、その向こう側は見えない。兵部は裏通りに駆け込みながら傘を放り出すと真木と一緒にその向こう側へ音もなくテレポートする。
車を乗り越えて上空から見ると、手前には背を向けた男達が三人、向こう側にこちら側を向いたチンピラ風の男が二人。手前の方は着崩したスラックス姿で、奧のほうの二人は一人がアタッシュケースを抱え、もう一人は銃を持って銃口を上に向けている。
「脅しじゃねえぞ!現金を持ってきてないたぁどういう了見だ!」
「今日全額は渡せないと言っている。決して踏み倒そうなどと思っては……」
「うるせぇ!」
そしてまた銃声が一発。間違いない、先の銃声もこの男の仕業だ。どうやら気の短い質らしい。その上、会話の内容から察するに。
「交渉決裂、ですかね」
「居合わせたのも縁だ、超能力者でもなさそうだし、奴らまとめてやっつけて片方だけでももらって帰ろう」
「わかりました」
真木が頷くと兵部の姿がかき消える。と、瞬時に向こう側の二人の男の後ろに現れて、拳銃を持った男を後ろから延髄を、アタッシュケースを持った男は側頭部を共に掌底で打ち据えると、二人はほぼ同時にその場に倒れこむ。自分を襲った者の姿すら見てはいないだろう。
手前の、背を向けた男達も同様で、長く伸ばした真木の炭素繊維が首に巻き付くと、三人を吊し上げ、ビルに換算すると三階ほどの高さから唐突に放り出す。悲鳴を上げる間もなく地面と抱擁した三人は倒れ伏す。いずれも意識はない。こちらも同様に、真木の姿の確認すらできていないはずだ。
「よし、完了」
地に足をつけた真木がアタッシュケースを取ると、一緒にテレポートしてきた黒い傘をさして兵部を雨から守る。兵部はすたすたと三人組のほうにやって来てかがみ込む。サイコメトリで情報を読み取るためだ。
「なーんだ、現金持ってきてたみたいだよ。ただ、半金しか渡さないつもりだったらしくて、後部座席と、トランクの裏側に隠してある」
言われるがままに真木がバンを探索すると果たして兵部の言うとおりの場所に現金が見つかった。どちらも目立たないように小さめのバックパックに詰めてある。
「少佐、悪いですが傘を持ってくださいますか」
「あー!」
荷物を三つどう運ぼうかと苦心している真木の後ろで兵部が叫ぶ。
「真木、大変だ」
「どうしました?」
兵部の表情は呆然としているように見えた。
「傘を置き忘れてしまった」
「……ちゃんと回収しますから」
真木がそう言ってもそわそわと兵部は落ち着かない。
「なかったら、新しいの買いますから!」
「うん、そうすればいいのはわかってるんだけど」
夕方の駅前で車がやってくるのを待つ、なんて久しぶりの体験だったから、いつもならやらないことをしてみたかった。
サイコキノで雨をしのぐのではなく、自分で買った安いビニール傘で傘を持って空を見て、雨の滴を眺めるのが楽しかったのに。
二人が通りをもときた方へ戻ると、兵部が置き去りにしたビニール傘はあいにく行方不明になっていた。
兵部は少しだけ肩を落として、真木が乗ってきた車の助手席に乗り込む。
「やっぱりなかったかー……」
「買ってきますよ」
荷物を後部座席に詰め込んだ真木が兵部に尋ねるが、兵部は首を横に振る。
「いい、いいんだ。あの傘じゃないと駄目だったんだから」
「……そういうものですか?」
確かに兵部は少しだけ落ち込んでいるが、実はその落ち込みをも楽しんでいた。さもない物をさもない理由で失くすという感傷をも、楽しんでいたのだ。
「うん、だからもうしかたないんだ」
そしてこういう類の思い出が、生きていくのに存外大切であることを、兵部は経験上知っていたのである。
<終>
----
お題:「夕方の車内」で登場人物が「忘れてしまう」、「ビニール傘」という単語を使ったお話を考えて下さい。
文中に無理矢理出しましたが「傘をひらいて、空を」というブログがありまして(絶チルでもオタでもない)、もうセンスも文体も文章の的確な長さも天地の差があるくらいすばらしいブログなのですが、同じモノは書けなくともそこと同じくらいの頻度で書いていたら何かが変わる!少なくとも何かしないと変われない!と自分に言い聞かせてこの連日更新になりました。とても素敵ブログですので機会がございましたらどうぞ。
いつも拍手してくださる方、コメントくださるかた、誠にありがとうございます。