■ショコラ chocolate■
映画のタイトルを「ショコラ」と言った。
街の片隅にやってきたシングルマザーの開いたチョコレート屋さんが、様々なスパイスや調合を施したチョコレートを街の人々に売って、やがて街が幸福になっていくという甘いストーリー。
……は、いいのだが。
夜の営みがうまくいっていない夫婦が特別製のチョコレートでお盛んに、というくだりのあたりで真木は異変に気付く。
隣に座った兵部が、真木の太股の上に手を伸ばしてきているのだ。
(ちょっと、少佐っ!)
(何だい、真木)
(それはこっちの台詞ですっ!!)
小声で異議を唱えながら兵部の手に自分の手を添えてその動きを止めさせる。真木の内股へと手を伸ばそうとする扇情的な動きに、兵部の魂胆は大体察せられる。
暗い映画館、一番後ろの席を取っているせいか自分たちに注意を注ぐものはいないが、それでもいくら何でも破廉恥すぎる。
(やめてください!)
(何を?)
(何って……)
そんなやりとりの間にも兵部の手は真木の束縛から離れて、ついに内股を下から上へとなぞり始める。
「駄目ですってば!」
兵部が一瞬身じろぎするくらいまで思わず声のボリュームを上げてしまった真木だったが、その嘆願は兵部以外の人間には聞かれていないようで、ほっとする。
結局そのまま真木が兵部の両手を拘束して最後まで映画を見ることになった。
このほうがいいのに、と真木は思う。
過度の接触もサービスもいらない、ただ暗闇で手を繋いでいられるだけでも幸せなのに、どうしていつもこんな形になってしまうのか。
「まったく……」
映画が終わった後に座席から立ち上がりながら、照れくささと恥ずかしさで真木がつい口を尖らせる。
「映画館でコトに及ぼうだなんて、盛り場でも売春夫でもないんですから」
「そういう知識をどこで仕入れてくるかなあ」
「誤解されるような行動を取る方が悪いんです」
真木は珍しくにべもない。それが恥ずかしさの裏返しであることは兵部も理解していたが。
「例えそういう経験を再現したいのだとしても、俺は御免です」
「……え」
一瞬、兵部は我が耳を疑った。
「なに、それ」
「あ……」
真木も失言にすぐに気付いたようだった。
「その…すみません、言い過ぎました」
「もしかして僕を疑っているのかい?」
「違います!」
その慌てた態度から、心底反省しているのは十二分に分かったが、真木の中にある疑いの種の根は自分自身ですら気付いていないくらい深いようで、兵部の思いは言葉にならない。言葉なんかで氷解するたぐいのものではないからだ。
「……」
以来口をきく気になれず、沈黙が二人の間を埋め続けた。そしてそれは夜になって兵部が自分の部屋に戻るまで続いたのである。
一人、自室に戻って、襟を開けながら大きく深呼吸をする。
「……やれやれ」
すっかり肩が凝ってしまった。相手は真木だ、いつも通り気の赴くままに罵倒するなり命令するなりしていればここまで疲れなかっただろう。だけど。
過去や他の男の影を真木にちらつかせられると、兵部の思考はぴったりと停止してしまうのだった。
長い流浪の人生の中、後ろ暗いことくらいある。けれど真木にはそんな影は見せたくない。
真木にだけは。
と、その時ドアがノックされる。
「誰だい?」
「……俺です」
――真木。
聞き慣れたはずの声にどきりと心臓が跳ねる。無意識に時計の時間を確認すると、もう皆が寝静まったであろう頃合だ。
「何か用なの?」
いつもなら無言でドアを開けるところを、ドアに正面から向き直ってそう問うのが精一杯だった。
「ホットチョコレートを、作ってみたのですが」
さては映画の影響か――甘いものは嫌いじゃないが、今欲しいのはそんなものじゃない。
「僕はいい」
「そうですか」
少し消沈した声も予想通り。真木の、低い声。切羽詰まって自分の名を呼ぶ時特有の掠れた低い声を思い出して、下腹部の辺りがきゅうと熱くなる。
真木が欲しい。
なのに。
「わかりました、よくおやすみ下さい。では」
そのままドアの向こうから立ち去る気配がして、兵部は矢の如くドアに駆け寄ると大きな音を立てて扉を開ける。
「……少佐!?」
「どうして帰るのさ!」
真木が意外そうな顔をしてこちらを振り向いていた。肩越しにホットチョコレートの置かれたトレイを持っているのが見える。
「ですが……」
「ホットチョコレートはいらない、とだけ言ったんだ。君にまで去れとは言ってない」
一気にまくし立てると、真木がこちらに向き直る。何故か、何かの覚悟を終えた顔をしていた。
「……入れよ」
部屋に招くと、真木は素直に兵部の部屋に入ってきた。まだ、目をあわせようとはしなかったけれど。
ソファに座りながらトレイをテーブルの脇に置くのを見て、その上のホットチョコレートに手をかけると真木が驚いた顔で兵部を見上げる。
ようやく、自分を見てくれた。
「味見、してやるよ」
真木が入れたホットチョコレートを口に含むと、想像していた以上の甘みが口の中に広がる。
「甘い。でも、悪くない」
そう言ってテーブルに置くと、真木が額に手を当てて苦笑している。
「わがままな人だ」
くつくつと笑いながら大きく一息つくと、両手を顔の前に組んで意志の強い瞳を覗かせる。
「さっきは、すみませんでした――本当に」
「……」
大丈夫、気にしてないよ。そう言いたいのに言葉が出てこない。
「貴方を疑った訳じゃないんです。ただ俺は、俺はいつだって、一緒にいるだけでいいのに、貴方は違う。ですよね」
「……そうだね」
一緒にいるだけだと足りない。もっと近づきたくなる。
「その違いを埋める努力をしなければならない所を、俺は貴方の過去に罪をなすりつけようとした」
さっきから、ずっと、身体の芯のあたりが疼く。甘いようで、痛いような。
「謝罪を、受けてくれますか」
疼きは体中を侵しつつある。胸が切なく、苦しい。
「君は一緒にいるだけでいいって言った、それを僕は受け入れられない。それでも?」
「はい」
「じゃあ、真木、来て」
こくりと密かに喉を鳴らすと、正面から真木に向かって手を伸ばす。
「君が欲しい。僕には、君に抱かれることでしか満たされない――そういう器官が、もう出来てしまっているみたいなんだ」
真木は重々しく頷いた。
「やぁっ、ぁ、ああっ」
「ここがいいんですよね?」
真木の長い指が胎内から前立腺を叩く。その都度、全身に怖気にも似た快感が駆け巡り、あられもない声になって口から迸る。どうしようもなく感じてしまっているのに、同時に、どうしようもなく真木が欲しい。
「真木っ、はやく、はや……ああっ」
真木の熱い熱を受けて、嫌というほど擦られて、ぐずぐずに溶けてしまいたい。
「はい」
真木のもう片腕が兵部の肩を抱く。太股に当たる真木の雄を意識するだけで感じる強さが上がっていく。
「ああんっ、も……君、だけが欲しい、真木――」
一刻も早く、真木に満たされたくて、それ以外には何も考えられない。真木を受け入れる器官ができたと言うよりは、自分自身が真木を受け入れる大きな器官の一部に成り下がってしまったような。
カップを取ると当たり前だがひんやりとした感触が手に伝わる。そのまま口に運ぶが、かつての暖かさはそこにはない。
「覚めると、あまり美味しくないね」
「暖め直してきますか」
「後でいい」
叫び尽くしてカラカラになった喉を潤す役目には充分な量を口に含んで飲み下すと、もう一度ベッドに戻ってすかさず真木の首に腕を廻して胸に飛び込む。
「辛くないですか」
「?どうして?」
「その……俺の方が、最後は無茶してしまいましたし」
泣いてもう無理だと叫ぶ兵部を組み敷いて離れなかったのは真木のほうだった。
「この野獣」
「違います!」
咄嗟の言い訳というだけではない妙な自信を含んだ声で、真木が兵部の目を見て言う。
「少佐だけです。少佐が、あまりに乱れるから、俺は理性が保てなくなる。そんな相手は、少佐しかいません」
「――生意気言っちゃって」
理性、と言われて納得する。そうだ。理性などかけらも残さずに身も世もなく叫ぶセックス、そんな快感をもたらしてくれた相手は真木が初めてだ。そしてきっとこの先も現れないだろう。なぜならこれは、互いに想いあっていないとありえないことだから。
兵部は祈る。どうかこの想いが、関係が、互いに途切れることのないようにと。
「君だけだよ」
「はい?」
人は変わるものと知りながら、それでも変わって欲しくないと思う相手。
「僕も、あんなになるのは君だけだ」
「……はい」
兵部はもう一度真木にしがみつく腕に力を入れる。それを助けるように、真木が両腕で兵部の背を抱き返してきた。
想いは一緒のはずだ。
願わくば、この時間がずっと続きますようにと。
<終>
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昨日と同じお題で新たに書き起こしてみたら、いつもの王道真木兵部でしたとさ。
兵部は一人で放浪していた時間があまりに長いので(三幹部を拾う前)その間、どういう性生活をしていたのかを真木さんは気にしていればいいなぁ、と思います。なぜなら私が気になっているから!だからこの疑問を乗り越えて欲しいのです。がんばれ真木さん。
でも少佐は今回みたいにビッチにすればいいのか実は禁欲生活にすればいいのかわからないんだ。ただ腐女子フィルタを介しても、外見年齢と、あと薫たちへの愛情は強すぎるので女性相手はなさそうだ、と。で、(腐女子眼鏡オン)それで別に男性相手なら意外と受け入れちゃいそうだ、とか思っちゃうんですよね。
でもでも実は乙女で純で真木に一途な兵部さんというののほうが心情的には推したいわけで。書き終えた今でも葛藤していたりします。
そんな葛藤を真木さんを通して表せてたらいいなぁとか考えていたりします。それではっ。
読み終えたらぽちっとな。いつもアクセスありがとうございます。