卒業式の日は朝から快晴だった。
長い間通った学び舎に、引率してくれた教師たちに、感謝と別れを告げる儀式。
つつがなく卒業式は終わり、ひっそりと薫達の卒業式に紛れ込んでいた兵部は何を考えるでもなく何を見るでもなく、ただぼんやりと屋上から校舎、そしてグラウンドを歩いていた。
「探しましたよ」
唐突に声をかけられて我に返る。ふと気付くと日はとうに落ち、時刻は深夜になっていた。なるほど、探されるわけだ。
「ごめん、真木。ちょっとぼうっとしてた」
「葉が聞いたらまたもうろくしたと言われますよ。せめて行き場所くらいは伝えてから出かけてください」
「悪かったよ」
自分でも気持ち悪いぐらいに素直なのは、きっと卒業というセレモニーが終わったことに対して心が弱っているからなのだろうと兵部は自己判断する。
「それよりも、早く帰りましょう。今夜半から雨という予報ですし、ここは、落ち着かない」
「嫌な思い出もあるし?」
からかい声で告げた兵部に真木が嫌そうな顔をする。
「あれからもう二年もなるんだね」
あれ――というのは、この学校を部隊にチルドレンとその運用主任の皆本を巻き込んで大規模なヒュプノを行った時のことだ。
兵部は己の死を決意した。その計画は結局失敗したのだが、かわりに真木たちに心配をかけた。だから、実は兵部はこの校舎にその一件以来近づいていなかった。色々と思い出すこともあるから。
事実、今の今まで卒業式が終わってからずっと思いはせていたのだ。この校舎にこびりついた、思い出を。
「嫌な思い出です」
「そう言うなよ」
「……最悪の思い出ですよ」
少しうつむき加減で言った真木の仕草に、苦悩と心配とを読み取る。
「ごめんね。思い出させるつもりはなかったんだ」
「反省してるなら、二度とあんなことはしないと誓って下さい」
「はいはい」
安心させるためにわざと軽い調子で答えたのに、スタスタと真木が寄ってきて、唐突に兵部の身体を抱きすくめた。
「信用できませんよ。貴方はすぐどこかに行ってしまうので」
「……そうかもしれないね」
血を吐くような真木の言葉に、そっと背中ごしに肩に手をかける。
「落ち込んでるのは僕なのに、君にまでトラウマを作っちゃったかぁ。ほら真木、帰るよ」
「もうあんな真似はしないと誓って下さらないのですか?」
そんなことはできない。兵部は束縛されるのが嫌いだ。二度と同じようなことはするまいと思っていても、強制されそうになるとつい逃げたくなる。今みたいに、はぐらかしてしまったほうが誠実だと思ってしまう。人間の心に絶対はないから。
「真木、雨が……雨が振ってきたよ」
ぽつぽつと頬に水滴が当たる。真木はしばらく瞑目した後、眉間に苦悩の皺を残しながらも兵部に言った。
「すいません、忘れてください。あなたはあなたのやりたいようにやればいい。俺はそれについていくだけです」
ふいに真木の後ろの闇が濃くなったかと思うと、翼の形になったそれが兵部の頭上に展開されて、雨をしのぐ傘になる。
「それだけです」
すっかり暗くなったグラウンドの中央で、兵部には真木の苦悩に満ちた顔は見えなかったが、それでも抱きしめられた腕から苦しみは伝わってくる。
ますます何も言えなくなった――だってこの苦悩を引き起こしたのは自分なのだ――兵部は、何も言わず抱きしめ返す。
「――さあ、帰ろうか。濡れる前に」
「貴方に何処にも出かけるなとは言いません」
「うん?」
「でも貴方を雨の中に放り出すのは我慢できません。俺は」
一度言葉を切って息を吸うと、真木は兵部に告げた。
「俺は貴方の傘でいたい」
「馬鹿だなぁ、今でも充分傘だよ」
つんつんと頭上の炭素繊維製のそれをつつきたい気分だったが、両腕も拘束されているので、あえて明るい声で答える。
「これからも、です」
「――わかったよ」
兵部が頷くと、真木もまた頷いて、抱きしめていた両腕の拘束を解いた。
二人を包む雨足は強まることも弱まることもなく、無人の校舎を少しずつ冷たい滴で濡らしつつあった。音もなく、静かに。
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お題:「深夜のグラウンド」で登場人物が「抱きしめる」、「雨」という単語を使ったお話を考えて下さい。
なんだかいつもの真木兵部。
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