■クッキー cookies■
午後から熱が上がってきたのを真木に見とがめられ、紅葉と葉の手を借りて半ば強制的に部屋に押し込まれてしまった。
「真木のケチー」
本当は布団で寝てなければいけないのだろうが、悔しいから起きていたいのと怠くて横になりたいのとが半々で、結局学生服姿のまま布団の中に入らずベッドの上でごろごろしていた。
時計が三時を回る頃、ドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞー」
「失礼します」
真木だった。手にはトレイを持っている。
「病人じゃないんだから、風邪薬なんて持ってきたって飲まないからね」
「風邪薬じゃありませんよ」
トレイを机の上に置くと、そこに乗っていたのは紅茶のセットと、かわいらしい小振りなバスケットに盛られたクッキーだった。
「おやつ?」
「澪達が家庭科実習で作ったクッキーだそうです。少佐に食べていただきたいとのことで」
「じゃ、遠慮なく」
ベッドから起きあがり、さっそく一つつまんで口の中に放り込む。同じ部屋にいるのは真木だけだから、多少の不調法は気にしない。
「うん、美味しい。あとで何かお礼を考えないとなあ」
「そのほうが、喜ぶと思います」
紅茶の様子を見ていた真木は笑っている。
「なんだか真木、嬉しそう」
「澪達も、大きくなったなぁと」
感慨深そうな瞳は、ともすれば父親のそれにも似ていて、兵部は思わず吹き出す。
「何が可笑しいんですか」
「ううん。なんでもない」
かつて兵部は真木に同じ感情を抱いたことが何度もある。――大きくなった、大人になった、そう実感するたびに心に訪れる大きな喜びと小さな寂寥を、真木も今感じているのかと思うと何ともいえない気持ちになる。
「にひきかえ、貴方の薬嫌いはいつまで経っても成長しませんね」
「強気じゃん」
「心配してるんですよ」
「わかってるよ」
「わかってるんなら」
真木がつかつかとベッドに座ったままの兵部のもとへやって来て、両肩を掴んでベッドに押しつける。
「なっ……?」
「大人しく寝てて下さい。どうせ、起きてたんでしょう?」
「……バレた?」
ぺろりと舌を出してはぐらかした兵部だったが、内心は穏やかではなかった。こんなに簡単に押し倒されるとは思わなかったし、真木がそういう行為に出ることそのものもなんというかドキリとした。だから。
「真木の馬鹿」
そう言って布団の中に入ると、真木が眉間に皺を寄せて布団を剥ごうとする。
「駄目ですよ、パジャマに着替えないと」
「真木の言うことなんか聞かないもーん」
「子供ですか!」
とはいえ真木も布団に入っただけよしとすることにしたようで、諦めたように立ち上がる。
「夕食も持ってきますから、それまで安静にしてて下さいね。子供じゃないんですから」
「うるさいなー、もー」
背中を向けてそうぼやくと、真木が苦笑する気配が伝わる。そしてそのまま真木は部屋を出て行った。
ドキドキが止まらない。夕飯まで眠れるとはとうてい思えなかった。
ノックの音で目を覚ます。どうやら眠っていたらしい。
「少佐?」
ドアの向こうで自分を呼ぶ声が聞こえる。
「入っておいで」
「はい」
入ってきたのは真木だった。手にはトレイを持って。本日二度目の光景にまだ夢の続きにいるような心地になるが、時間は確かに経過しているらしく時計を見ると九時を回っている。
「すいません。夕食の時も来たのですが、ゆっくり眠ってらしたのでそのままにしておきました。かわりに粥を持ってきましたので、食べて下さい」
「夕方に来たの?気付かなかったなー」
「……着換えにも目を覚めずにいたくらいですから、やはり疲れてたのではないかと」
言われて服を見ると、学生服の変わりに深緑色のパジャマに着替えている。いつの間に。というか。
「真木が着換えさせたの?」
「はい」
心なしか真木の頬が赤い。それに気付くと兵部の頬もつられて朱に染まる。
「そ、そっかあ。じゃ、おかゆ食べようかな」
「どうぞ」
真木がクッキーを端に寄せ、テーブルに粥とお新香と茶碗蒸しを並べた席へ座ると、食欲をそそる香りが鼻をつく。
「いただきまーす」
一口。――美味しい。もう一口。更に一口。気が付くと必死になって食べていた兵部に、真木が驚き半分といった表情で笑いかけてくる。
「そんな、貪るように食べなくても。足りなければまた作りますし」
「うん、そうなんだけど、なんかおいしいんだよね」
「クッキーもそのくらいの勢いで食べてたら、澪達も喜んだでしょうに」
「クッキーもおいしかったけど……澪達には内緒だよ」
「はい」
真木だけだ。突然押し倒されても怒りもせず、寝ている間に着換えさせられても恥じることなく、みっともなく貪り食っても気にならない相手は。まだ澪達にはそんな姿は見せられない。ううん、きっとこの先もずっと。
「――だけだからね」
「?何か言いました?」
「別に。ごちそうさまっ!」
ぺろりと平らげるとテレポートでベランダへ出る。後ろから真木があわてて追いかけてきて、ガラス戸を開ける。
「何してるんですか!」
「熱いものを一気に食べたらクールダウンしたくなった」
「駄目ですよ、冷えますよ」
「すぐ戻るって」
「それでもです」
いつの間にか手に持っていたガウンを肩にかけられる。ベランダの外には漆黒の大海原。海を渡る風は冷たく、なるほど真木でなくても心配するだろう。
「心配性なんだから、真木は」
「そうさせてるのが誰なのか胸に手を当てて考えてみてください」
「こう?」
真木の胸に手をあてて、猫のように素早くすり寄る。
「お、俺のではなく!」
「あー、考えてることがよくわかる。真木ったら、いやらしい」
「そんな事考えてません!」
真っ赤になって否定する真木の心の中に、寝てる兵部を着換えさせた時と同じ葛藤が渦巻いているのを感じ取って兵部は勝利の笑みを浮かべる。
「僕はそんなこと考えてるけど?」
「だから………って、え?」
「いやらしいこと、したいなーって」
真木の胸に当てていた手をゆっくりと鎖骨へ、そして首筋へと伸ばして真木の頬で止める。
「少佐……?」
「キスして、真木」
上目遣いに見上げると、真木がぎゅっと目を瞑って覚悟を決める。
「――わかりました」
そしてキスが降ってくる。少しだけ遠慮がちな唇に、真木らしさを感じて嬉しさを感じる。
「ねぇ真木」
唇と唇が離れると、兵部は真木に向かってまっすぐ視線を向ける。
「君とのキスには、甘さが足りない」
「甘さ……ですか」
ショックを受けた顔をしている真木の目の前に、テレポートでクッキーをひとつ運んで、兵部が口にくわえる。
「ほら」
「?」
「手を使っふゃ駄目らよ。そっち側から食べるんらから」
「はぁ!?」
兵部が口にしているクッキーの反対側の端から食べろと言われてうろたえる真木に、兵部は辛抱強くクッキーをくわえたまま待つ。
真木は小さく頷くと、クッキーの片側に歯を立てて、兵部と至近距離であることに耐えきれなかったのか、半分ほど口にした時点で離れてしまう。もごもごと口を動かして言うには。
「半分食べましたから、もう半分は少佐がご自分で食べてください」
「らーめ」
兵部は真木の腰に両手を回して指を組むと、また至近距離に陣取って真木にクッキーの残りを突き出す。
「全部真木が食へるんらから」
強硬に言いつのると真木が真っ赤になりながらも溜息をつく。
「わかりました」
そしてまた兵部の唇に触れそうなほど近くで、兵部がくわえたクッキーを最後の一片まで食べきると、兵部はにんまりと笑う。
「良い子だね、真木。ごちそうさまは?」
「ごちそうさま……でした」
「おかわりは?」
真木は少しだけ考え込んだようだったが、すぐに諦めたらしい、兵部を抱くと唇と唇が触れそうで触れない距離へと顔を近づけて囁く。
「――あなたが欲しい」
言葉に秘められた熱っぽさに、兵部の体温もつられて上がる。
「僕も、だよ、真木」
「甘さは、足りましたか?」
「さっきので、充分ね」
二人でクスクスと笑いながら、戯れるようなキスを何度も交わす。
冷たい海風から兵部を護るように、真木は大きな腕で兵部を抱きしめる。そのたくましさに、寂しさを内包しない嬉しさを感じる兵部だった。
<終>
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お題:「夜のベランダ」で登場人物が「貪る」、「クッキー」という単語を使ったお話を考えて下さい。
親戚の子とかが大きくなると少しだけ不思議な感じになりますよね。あのかわいかった頃とはもう違うんだなーもう見れないんだなーみたいな。
いつもありがとうございます!