■ひとつ傘の下 under a umbrella■
傘を持ってきたからいいようなものの、冬の雨は冷たくて、手袋をしていない手がかじかんでしまいそうだった。
「僕が傘持とうか?」
「いい、俺が持つ」
兵部の提案を退けた真木に文句を言うでもなく兵部は二人きりの傘の中に収まって歩きつづける。
しばし無言の時間が続く。だからといって間が持たない、というわけではない。むしろ逆に、口を開けばこの二人だけのささやかな世界が失われてしまいそうで言葉が出なかったのだ。
並木道を並んで歩きながら、兵部はここ数日について想いを馳せる。
「楽しかったかい、司郎?」
「なにが」
「クリスマスパーティと、初詣」
兵部は昨年からバベルに捕まって投獄されており、年末になってクリスマスプレゼントを両手に抱えて戻ってきた。
司郎も、紅葉も、葉も、心の底から帰還を喜んだのだが。
しかし、実際は皆と過ごすのはクリスマスから年始にかけてのみであり、その後はまた牢に戻ると兵部は告げた。
その話をして以来、司郎がよそよそしい。楽しんではいるようだったが、兵部と二人きりになったり心が触れ合いそうになったりするとすぐに逃げるのだ。
兵部は考える。もしかしたら司郎に愛想を尽かされたくて、こんなことをしたのかもしれないと。
だって自分が彼等を見捨てることはできない。彼等を見捨てるということは|未来の子供達≪ザ・チルドレン≫を見捨てることに等しいと兵部は感じている。
でも逆なら。自分が愛想を尽かされるのなら、慣れているぶん楽というものだ。
紅葉と葉の分の買い物を左手に提げた司郎がきょとんとした顔で答える。
「そりゃあ楽しかったよ、もちろん。なんでそんなこと聞くのさ?」
「だって司郎、僕の目を見て話してくれないし、ようやく買い出しで二人きりになれたんだから、どうせなら聞いておきたいと思って」
「……」
あの日、司郎と二人でクイーンの出産に赴き、不二子がいるとはいえみすみす捕らえられてしまったことについて、本気を出したらバベルの追っ手から逃げることくらいできたのではないかと問われれば、兵部自身も判断できない部分がある。
本当は怖くて逃げただけかもしれない。三人の子ども達から必要とされる幸福から。
心の底では見捨ててほしいと思っているのかもしれない。司郎の沈黙が続くほどに、暗い想いが胸を浸食してくる。
「司郎」
じれったくなって、傘を持つ司郎の手に兵部自身の掌を重ねる。
「!」
「本当のことを言ってもいいんだよ?僕のところから出ていきたければ、それなりの環境ぐらいは整えてあげるし」
「そんなんじゃ……っ!」
あわてふためいた司郎が傘ごと触れられた手を自分のほうに引き寄せるように振り払ってしまい、兵部の肩を水滴が叩く。
「あ、ごめん!」
「いや、いいけど」
触れ合っていた手が空を掴むと、何故だろう心が痛む。痛みを和らげようと口を開くと、自分でも思いもかけない台詞が飛び出してきた。
「この程度で慌ててちゃ、彼女もできないぜ?」
「な、何で俺の彼女の話になるのさ?」
「そういや見たことも聞いたこともないなー。いるの?いないの?」
「いないよ!」
「ふぅん」
顔を赤くして再度傘を兵部のほうへと差し出す。寄り添うように二人はまた歩き始める。
「司郎の初恋っていつ?」
「だからなんで俺の話なのさ!」
「興味があるから」
「え……」
さっきからどぎまぎしていた真木が押し黙ったので顔をのぞき見ると、真っ赤になってそっぽを向いている。
「司郎?」
「あーもう!知らない、忘れたよ、忘れた!小さい頃だよ!!」
「へえ?僕に拾われる前?それとも、後?」
「っ……」
これ以上ないくらいそっぽを向いているのに、さらに向こう側を向こうと首の関節の限界に挑む司郎の頬に軽く触れる。
「悪かったよ、言いたくないなら聞かない。だからこっち見て。ほら、今度は君が濡れてしまう……?」
『初めて会った時』
今の声は司郎だった。けれど耳からではない。心の声だ。テレパシーかサイコキノでうっかり心を読んでしまったのだ。
兵部に拾われる前後どちらなのかと問うて、初めて会った時と答えが返ってくるということは、つまり……。
「えっと……」
それきり兵部も黙ってしまう。盗み見てしまった司郎の気持ちを思うと心なしか胸が苦しい。けど不快じゃない。
頬に手を添えたポーズのまま歩みを止めてしまった二人だったが、バラバラという堅い音で我に返る。
「――司郎、霰が降ってきた」
「本当だ」
兵部が頬に添えていた手を引っ込めて天を仰ぐと、司郎も傘の下から手を差し出して振ってくる堅い粒を観察している。
「雪になるのかも。今夜から明日にかけて寒くなるって天気予報で言ってたから」
「『雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう』って感じ?」
「古っ。しかもクリスマス終わってるし」
「悪かったね」
歌謡曲の真似などをしてみたら司郎に笑われた。かわりにさっきまでの切なくも重い空気は霧散していた。
「いいじゃないか。僕は来たんだから」
「え?」
「さっきの曲の続き。『きっと君は来ない、一人きりのクリスマス・イブ』だろ?」
兵部は歌うのは嫌いではないが自分があまり唄が得意ではないのを知っているので、そのフレーズだけを告げてみる。
「俺は、っていうか多分――葉はわかんないかもしれないけど――紅葉も、丁度そんな心地だったよ。来ないんじゃないかと思ってた」
「それは……悪かったね。――本当に」
そばに居ないというだけで、一体どれだけ寂しい思いをさせているのだろう。それを思うと胸が痛まないでもなかったが、これ以上三人と自分との距離を近づけるのも危険な気がしている。
――自分は戦士で、亡霊だから、いつこの身が消えようとも後腐れのないようにしておこう。ずっとそう思っていた。司郎や葉や紅葉を拾ったのはただの偶然で、名をつけたのも共に暮らしたのもほんの気まぐれだったはずだ。
でも本当は自分が一番寂しくて、誰かにいて欲しかったのかもしれない。その事実と直面するのが怖くて逃げたのだ。
「ううん。来てくれたから、いい」
「そうか」
そうして兵部を真っ直ぐに見つめる真木の目を見て唐突に気付く。
自分もプレゼントが欲しかったのだと。
「僕も、いいプレゼント貰っちゃった」
「え、何、会えたことがプレゼントとかそんな感じ?」
「うん、似てるかな」
「そっかぁ」
一人で納得したらしい司郎が照れ隠しに頭を掻く。
本当のプレゼントは、さっき司郎が隠した一言だ。
司郎の初恋は自分で、それは今も続いている。憧れを燻らせたままの曖昧な恋として。
「司郎」
「なに?」
「心変わりは許さないぜ?」
ずっと僕を好きなままの司郎でいて欲しい。特別な意味で。残酷でわがままな願いだけれど。
「心変わり……って、何のこと?」
司郎は、自分は何も言っていないと思っている。隠した思いは伝わってないと信じている。そんな実直さが、そう特別な意味で、好きだと思えた。
「初恋。忘れずに貫き通すって、僕に誓いなよ。約束できるだろう?」
まぁ忘れたとしてもその都度揺り起こしてやるつもりではあるのだが。初恋のひとことに真っ赤に頬を染める司郎を見ていると、ふとそちらも悪くないと思えた。
「約束って……それはどういう……」
首を傾げた司郎に、兵部は微笑みかける。
「まぁ、初恋が一度きりとは限らないかもしれないけどね」
ともに暮らすことはできなくても、牢を抜け出るたびに一回り大きくなった君と、出会うその度に恋に落ちるような未来も悪くない。心の底から、そんな未来を楽しみにしている自分がいた。
<終>
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お題:「昼の並木道」で登場人物が「約束する」、「傘」という単語を使ったお話を考えて下さい。
司郎と京介で呼び合ってた頃、なんてのがあってもいいかなーと「オッサン」発言をきっかけとしてもやもやと思い始めました。けどさぷりめんとでは紅葉も少佐って呼んでたし、ともやもやもやもや。
今回のこれは某ジェネレーターの結果であるところの「司郎と京介はひとつ傘のしたにいるだけで幸せな、憧れを燻らせたままの曖昧な恋をしていました。司郎と京介の出会いはもしかしたら一度きりではないのかもしれません。」をなぞってみました。
お気に召しましたなら幸いでございます。
読み終えたらひとつぽちっとな。
お返事