■流れ flow■
「よし、これだけあれば充分」
甲板の上、目の前には工具箱が数セットに鉈と鋸、それに竹を半分に割ったものが大量に積んである。
紅葉は大股でカタストロフィ号のブリッジに行くと、放送用の機材に電源を入れ声を張り上げた。
「全員起床!繰り返す、全員起床、例外は認めない!起きたらすぐに甲板に出ること!」
放送を終えて甲板に戻ると、早くもマッスルが到着して積まれた材料を見ている。
「どうしたのヨ、朝から」
「なんだなんだ」
続いて朝には強い真木だのコレミツだのもやって来て、遠巻きにそれらの資材を眺めていたが、まだ眠そうな顔で兵部がやって来たところで紅葉は皆に言い放った。
「流しそうめんをやります。皆で協力して作って――はいこれ」
近くにいた葉に鋸を渡し、まだぽかんとしているメンバーに次々に指示を出す。
「葉は竹を割って、カガリと、あとカズラ達女性陣は竹の節の内側を小刀で取るように」
「はーい」
比較的楽な仕事が割り振られてラッキー、とばかりにカガリや澪、それにパティは小刀を手に、そして流しそうめんの土台作りはコレミツや真木、それに手の器用な者たちに委ねられた。
「紅葉ねーさん、どうしたの」
澪がカズラにそっと耳打ちする。
「さあ……」
カズラにしてみても唐突に流しそうめんの装置作りなんてはじめた理由がわからない。
大体、昨日までパンドラの大人陣はチルドレンのいる小学校に潜入していて、そこで何が起きていたのかは彼女らにとっては知らないことなのだ。どうやらチルドレンの運用主任の皆本とやらを子供の姿に戻したりしていたらしいが……。
「昨日戻ってきてから、みんな、様子が少し変」
指摘したのはパティで、会話が聞こえているはずの葉にカガリが目配せしたが。
「俺の知ったこっちゃねー」
と当事者が一言で切り捨ててしまったため、一同の疑問は宙に浮かんだままになった。
一方、コレミツとマッスル、それに真木は流しそうめんの土台に段差をつける作業をしている。
「紅葉ちゃん、一体どうしたのヨ。唐突にこんなこと言い出して
『まあ、昨日の少佐のことだろうが……』
兵部が自分の生体エネルギーの残り全てをつぎ込んで皆本とチルドレンに新しい人生を送り、自らはそのまま死んでしまうつもりだったことは、この場にいる者は知っている。それが何を意味するのか、澪たちなどはまだいまいちピンと来ていないみたいだが、短くない年月を兵部と過ごした真木や紅葉、それに葉などは複雑な思いがあるはずだ。
そんなことを思いながらコレミツが真木に目線を送るが、真木はむっつりと押し黙ったままちゃんと水が川になって流れるように確認する作業に没頭しているフリをしているので、マッスルとともにこれは駄目だと肩をすくめながら、作業に戻った。
そして肝心の紅葉だが、采配を振るっているところに兵部がやってきた。
「ねーねー紅葉、僕は何をすればいいのかな?」
「少佐」
「どうしたのさ突然、流しそうめんだなんて」
「少佐はこっちに来て」
紅葉は有無を言わさず手持ち無沙汰の兵部を引っ張ると、物陰に引きずり込んで急に抱きついてきた。
「紅葉?」
兵部はそっと紅葉の肩に手を当てる。兵部が成長を止めたために今では紅葉の方が背は高い。その紅葉が兵部に縋るように抱きついている様は、はたから見たら少し奇妙に思えたかもしれない。
「まったく少佐は、いつだって残される側のことなんか考えないんだわ」
「……ごめんね」
何のことを言われているのかは承知しているらしい兵部は、ゆっくりと目を閉じた。
「昨日のこと、ちゃんと他のみんなにも謝るのよ?」
「紅葉、お母さんみたい」
こんなことを言われたら妙齢の女性だから怒り狂うかもしれないな、などと思っていると、いつもより気弱な声が兵部を責めた。
「家長がだらしないからこうなるのよ」
その涙声は、どんな罵声より兵部に堪えた。
「参ったなあ」
それきり兵部も黙る。紅葉の肩が震えている。
「……君を泣かせる気はなかったんだ」
「どうだか」
すん、と鼻を鳴らして紅葉が兵部に応える。抱き合っている今、泣いている姿は見えない。
「本当は、すごく不安だったんだから。もうやめてよね」
「本当に、ごめんね」
「もうしない?」
「もうしない」
完全にオウム返しになっている兵部に、紅葉が少し笑う。
「なら、許してあげる」
顔を上げて、兵部の儚く微笑む瞳を覗き込みながら、紅葉はサングラスの内側の涙を拭う。それ以上、涙は流れてはこなかった。
「じゃ、作業に戻りましょう。少佐はそうめんのほうの準備をしてほしいんだけど」
「了解。でもどうして、流しそうめんなんて言い出したの?」
紅葉は困ったように頭を掻く。
「その、仲直りするのに何がいいのかって考えたんだけど思い浮かばなくて……」
「それがどうして、流しそうめん?」
紅葉は恥ずかしげに目線を外して彷徨わせた。
「えっと……これで水に流してあげるってこと」
紅葉の言葉に兵部がクス、と笑う。つられて紅葉も笑う。
「あは、あはは」
「あっはっは、あっはっはははは」
そこにはもう先刻までの儚げなものはなく、いつもの底抜けに明るい笑顔が響いていた。
<終>
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題材[怒り狂った,川,微笑む,やめて]
オーバー・ザ・フューチャー後日談、紅葉編。なんだか珍妙なストーリーになってしまいました。とりあえず三幹部書いたぞー。
お返事