■小さな楽園 Paradise■
普段は子供達三人で暮らすマンションの一室に、兵部の声が響いた。
「葉がインフルエンザに罹った?」
「そうなのよ」
兵部の記憶よりもほんのわずか大人びた手つきで肘をついた紅葉がため息を零す。
「どこからもらってきたのか知らないけど……さっき薬打ってもらって戻ってきたところ。入院とかじゃなくてよかったと言うべきかしら」
「君たち二人は大丈夫なのかい?」
ダイニングでコーヒーを飲みながら話す二人に、しかし深刻な気配はない。
「あたしと真木ちゃんは今のところ平気。葉は今少佐の部屋で寝てるわ、一番奥まってるから。だから今日は真木ちゃんの部屋で寝てちょうだい」
葉の部屋は散らかっていて他人に貸せる状態ではない。滅多に戻らない育ての親の帰る部屋を占領してしまったことへ紅葉は少なからず責任を感じている。それを案じた兵部がにっこり笑うと大きく頷いた。
「僕は別に構わないよ。けど、葉は寂しがらないかな」
「仕方ないわ。お医者様にもあまり近づくなって言われてるから」
その時ダイニングのドアがノック無しに開いた。
「――少佐!」
ドアから入ってきたのは真木だった。紅葉が手で促すと同じテーブルに真木も座る。
「戻ってたんですか」
「たった今ね。葉がインフルエンザだって?」
「ええ。安静にして隔離しろということだったので、ゲームや漫画を沢山置いてきましたが、いつまで大人しくしているやら」
真木が会話を始めると交代で紅葉がテーブルを立ち真木のぶんのコーヒーを煎れにいく。
「知能犯的だね」
「他にいい方法が見つからなかったので」
真木が手を組んで難しい顔をする。最近この子も大人びてきて、兵部にかしこまった態度を取ることが増えた。
「いい案だと思うよ」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
組んだ腕を解いて嬉しそうに笑う顔はしかし過去の真木と何も変わっていない。
なんだか嬉しくなったところに紅葉が真木の分のコーヒーを持ってきたので、一同はしばしコーヒーを楽しむ。
「紅葉の煎れてくれたコーヒーは美味しいね」
「あら、ありがとう」
「NO.1だよ。君もそう思うだろ?真木」
「ですね」
手放しで褒める兵部と、照れ隠しに難しい顔で頷く真木と、涼しげな顔の紅葉、三人の目線がテーブルの上で交差する。静かな時間は次の兵部の一言で破られた。
「とりあえず、今日は一緒に寝ようか、真木」
「ええぇぇえっ!?」
テーブルを叩くようにして立ち上がった真木の手元で、コーヒーカップががちゃりと非難じみた音を立てた。
なんだかんだ言って昨日真木は兵部を自分の部屋に迎え入れたようだった。
「その後のことはあたしの知ったことじゃないし」
翌朝、紅葉はまだ起きてこない真木と兵部のことを軽く揶揄しながら葉の寝ている兵部の部屋へと向かい、扉をノックする。
「どうぞー」
中から葉の声が聞こえる。元気そうに思えた。
扉を開くと、布団の中で漫画を読みふける葉の姿があった。
「具合はどう?」
「最高。楽園みたい」
「えっ?」
だってさ、と葉は漫画を布団の上に置く。熱は下がったのか声も手つきもしっかりしている。
「僕今日からもずっとこの部屋で過ごしててもいい?家事もしなくて済むし漫画もゲームもあってとっても楽しいんだ」
葉の言葉に紅葉は目眩を覚えた。昨日までは高熱で、入院の可能性まで考えたというのに。
「その家事を受け持つのはあたし達だから、却下」
「ケチ」
「そういう事言ってると、少佐に会わせないわよ」
「京介?来てるの?」
葉が威勢よく布団をはねのける。
「アンタがここを使ってるから真木ちゃんの部屋で、まだ寝て――って、葉!」
紅葉の台詞を最期まで聞くこともなく、葉は素早く扉の方へと駆け出す。
「ちょっと葉!せめて体温くらい測りなさーい!」
紅葉の停止も聞かず、葉は部屋を飛び出していった。
「あーあ」
ぽつんと呟いた一言が誰の耳にも届かず床に落ちる。
「あの二人の寝てる部屋に飛び込む気よね、あれは」
手に持った看病道具の中から取り出した体温計を指で軽く弄る。他にも冷却ジェルだのタオルだのと色々持ってきたというのに、あの様子では使う必要はなさそうだ。それにしたって。
「何を見ても知らないんだから」
紅葉は一度はため息をついたが、すぐに思考を切り替えて三人が鉢合わせるところを想像し、ひとり忍び笑った。
<終>
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お題:キーワード 151 入院 65. 楽園 184. NO.1
兵部&紅葉目線。年齢的には葉は10~12歳くらい、真木さんはそろそろ取引相手にナメられないように髭を生やすべきかどうか悩んでいる頃じゃないですかね。関係ないけどハガレンFA最終話のロイの髭は微妙でしたね。
いつもありがとうございます~。