■金魚 Goldfish■
ドス、と鈍い音をたててカガリは尻餅をついた。
カガリに続いて木質化した手でフェンスの上を掴んでゆっくり降りたカズラが僅かに眉を寄せる。
「何落ちてるの」
「……うるせーな」
口汚いのは恥ずかしさの裏返しだと知っているカズラはくすくすと忍び笑う。
むっすりとへそを曲げたふうのカガリがグラウンドの方へと駆け出した。
「あっちょっと待ってよ、カガリ」
「早く来ないと置いていくぞ!」
「まったく、子供なんだから」
カズラの最後の言葉はカガリには届かなかったらしい、右手の掌を上に向けたカガリが発火能力で炎を発生させ、それを目印兼明かり取りとして二人でグラウンドから校舎へと向かう。
「鍵開いてるって本当?」
「だと思う。たしかこの辺だってクラスの男子が噂してて……開いたぜ」
「ほんとだ、すごい」
裏口近くの窓が破壊されることなく開いている。
そもそも、教室に文化祭の衣装を忘れたのはカズラだった。夕食後に最後の仕上げが終わっていないことに気付いたカズラが明日が衣装合わせのそれをどうしようかと悩んでいると、カガリが校舎の窓が開いている場所があるから一緒に取りに行ってやる、と言い出したのだ。
最近カズラにはカガリのことがわからない時がある。それはきっとカガリが思春期で、反抗期でもあるからなんだと思う(と薫――クイーンに教えられた)が、乱暴そうな立ち居振る舞いの陰にある優しさは変わっていない。
校庭から校舎へと窓を乗り越えると、今度はちゃんと着地したカガリが前を照らしながら歩いていく。その背中がいつもより大きく見えるのは何故だろう。
「どうした、カズラ」
「あ、ううん、なんでもない」
「早く行くぞ」
思わず立ち止まってしまっていたカズラをカガリが促す。一階は一年生の教室ばかりが並んでいて、気が楽だ。すぐに自分のクラスを見つけてロッカーを探ると、カズラの目当てのものは見つかった。
「ああよかった、これでみんなに迷惑かけずにすむわ」
「まったく……まあよかったな。帰るぞ」
カズラとカガリが廊下へ出たその時。
ピチャン。
無人のはずの校内から、微かな水音が聞こえた。
「!?」
「カガリも聞こえた?」
「ああ。でも、一体……」
何の音だろう、とカガリが言おうとした所に、またピシャン!と音がした。
「……水、の音だよね」
カガリは嫌なことを思い出す。タクシーに幽霊を乗せたという有名な話の最後は、座席が水で濡れていたというものではなかったか。
「まさか、幽れ……」
ピシャッ!
「っ!」
微かな、けれど確かにそれは今二人が通りがかっているクラスの中から聞こえた。
恐怖のあまりカズラはカガリの後ろに隠れるように張り付いてしまっていて、動けない。
ごくりとカガリが生唾を飲む音が聞こえた。
「……明かり、教室の中に入れるぞ」
「いやぁー!見たくない、カガリが見て!」
「ああ」
半泣きのカズラの姿に思うところがあったのか、カガリは背をしゃんと伸ばすと、大きく息を吸って扉を横にスライドさせながら、手に持った炎を教室内へと伸ばしていく。
そこには――誰もいなかった。
「誰もいないぞ」
「誰も?何も、ない……?」
「ああ、何もないみたいだけど……」
カガリが教室のドアを最大に開け放った時。
ピシャン!
「きゃああっ!い、今何か光った!」
「な、なにか動いた……な」
今にも逃げ出したい気持ちを男の面子だけで抑えつけているカガリが、明かりをなおも音の源へと近づけていくと――。
「あれ?」
カズラに大丈夫、と頷いてカガリはずかずかと知らない教室へと入っていった。
ピシャン、という音とともにカガリが屈み込む。
「カズラ、来てみろよ」
「なに……?」
おそるおそる足を伸ばしたカズラが近くまでいくと、床の上で何かが動いていた。
「――金魚?」
それは赤くて大きな金魚だった。目線を上に上げると水槽が置いてある。
「ここのクラスじゃ金魚飼ってるんだな。それが飛び出しちまったんだろう」
生物係が水槽の縁まで水をなみなみとたたえた水槽には、他にも何匹か金魚の姿がある。
床に落ちていた一匹は汚れも少なく、体力もまだありそうに見えた。
「戻すぞ」
「うん」
微かな水音を立てて金魚はもといた水槽へと戻る。
「このままじゃまた飛びはねたら落ちちまうな、ちょっと待っとけ」
カガリは小さな水槽の上に学級文庫の手頃な大きさの本を載せると、これでよし、とカズラに向かい直った。
「よかったぁ……」
「おいカズラ?」
へなへなとその場にへたりこんでしまったカズラの肩にカガリが手をかける。
「本当に幽霊だったらどうしようかと思った……」
「ばーか、幽霊なんかいる訳ねーだろ」
カガリの言葉の語尾も僅かに震えている。
「さ、行くぞ」
「……うん」
二の腕を掴むようにカガリがカズラを支えながら、二人は廊下へと出ていく。
やがてもときた窓から校庭へ出ると、カズラが大きく息を吐いた。
「どうした、カズラ」
「だって」
忘れ物で、カガリが優しくて、幽霊で、怖くて、何かいろいろとありすぎてどう反応したものかカズラ自身もわからずに、口から出たのは笑い声だった。
「あは、あははははっ」
「おい、カズラ?」
「ねぇ」
「ん?」
カガリの腕につかまったままで、カズラはカガリを下から見上げる。炎の揺らめく光の中に見えるカガリの顔は、いつもと何も違わないカガリだった。
「楽しかったね?」
カズラの言葉にカガリは一瞬面食らったようだったが、すぐに破顔する。
「ああ、楽しかったな」
そして二人でひとしきり笑うと、またグラウンドを横切って帰路を辿った。今度こそ、カガリがフェンスから落ちるということもなく。
翌日、たまたま同じ時刻に校舎の近くを通った生徒が火の玉を見たという噂が校内を駆けめぐったのは、言うまでもない。
<終>
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お題:「深夜のグラウンド」で登場人物が「落ちる」、「魚」という単語を使ったお話を考えて下さい。
男女カップル祭り、というわけではありませんがたまにはカズラちゃんを書きたくなったのでした。あとコミックス版ゴーストハント(原作:小野不由美)が完結したね記念。
いつも拍手&感想ありがとうございます。大事に読ませていただいています。