■書庫 Library■
蕾見男爵邸の二階にその部屋はあった。
膨大な報告書の保管や暗号の解読などは超能部隊とはまったく別の部署の仕事だが、それでも超能部隊から書類や報告書の類がなくなることはない。そのための執務室とはまた別に、様々な本が収納されている部屋があって、そこはさながら開かれた書斎であった。そして宇津美はその場所を「図書室」と呼び、ひんぱんに通っていた。
今日も訓練どころか食事の時間よりも早くに目が覚めて、訓練用の服に着替えてからまっすぐに図書室へとやって来た。ここにある本はどれも一度は手にしたことのあるものだが、何度触れても新しい発見がある。
「まあ、不二子令嬢が妙な本を置いていくこともあるが……」
部下への示しがつかないからと顔を真っ赤にして不二子に本を返す宇津美の姿を、どうも彼女は楽しんでいるふしがある。
もっとも、彼女の悪戯心のいちばんの犠牲者はおそらく自分ではなく。
「……宇津美さん?」
声をかけられて慌てて振り向くと、不二子の一番の被害者、彼女より三つ年下である兵部京介の姿があった。
「驚かせてしまいました?その、扉が開いていたものですから」
洋風建築の木彫りの扉を、そういえば閉めた記憶がない。
「構わないよ。少しびっくりしただけだから。こんな早い時間にどうしたい?」
「今日は朝食の給仕の手伝いなんです。でもちょっと早起きしちゃって」
若手は訓練以外のこまごまとした雑用も任務のうちに組み込まれている。そしてこの少年が不満を言った姿を宇津美は見たことがない。
「私と一緒だな」
頷く宇津美に、おずおずといった風に京介が口を開いた。
「その……手伝いますか?」
「ん?」
ふと気付くと手元のテーブルには本が散乱していた。読み散らかしてしまっていたらしい。
「いや、後でまた使うからいいよ」
「ですが……」
困った顔で宇津美から遠いテーブルの上に積まれた本の山を見る。それは宇津美が今朝来た時にはもうそこにあって、風景の一部であるかのように見えて一切手をつけずにいた。
「そうだな、じゃあそちらのテーブルのほうは、実用書とそうでないものをわけて片づけてくれるかい?」
「はい!」
朝日の中で、京介は嬉しそうに破顔した。
「はあ!」
兵部は椅子を一つ引き出すとぐったりと腰かける。クス、と笑いながら宇津美が声をかけた。
「お疲れさま」
「思ったより疲れました」
積まれた本を上から順番にサイコキノで一冊ずつ本棚にしまう訓練をする、ということになって、一冊ずつ移動させていた京介だったが。
「……意外と難しかったです。特に本棚に入れるときに、まっすぐ縦にして本を開かないようにしたり、斜めになってる隣の本を押さえながらしまったり」
「だろうね」
デリケートな作業ほど、神経を使うものだ。京介は普段の訓練を見ていると、どちらかというと強大な力を持て余している部分が目立つ。細かい作業は苦手だろう。
「庭の石を隣の川に投げ落とす、とかいうもののほうが、向いてるみたいです」
「……そうか」
一瞬彼の姉代わりであるところの不二子に似てきたと思ったのは、口にしないことにした。
「ねえ宇津美さん?」
「なんだい」
自分の両掌を開いたり握ったりしていた手を、ぎゅっと握りこんで京介は目線を変えずに問いかけてきた。
「僕らは、勝つんですよね」
何のことか、と言われれば答えは一つ――戦争だ。
自分たちがここにいるのも、超能部隊に配属されているのも、もとは全て同じだ。国のため。
「僕が男爵に連れてこられて栄光ある人間兵器になったのも、そのためなんですよね」
宇津美はこういう時には正直になる事にしている。特に目下のものには。
「君が僕と同じ年頃になるときには、そんなもののいらない世界にしたいね」
はぐらかさないよう、でも波風を立てないように言ったつもりだったのだが。
「子供扱いされてる気がします」
握った手から目線を外し、京介は痛いほどまっすぐに宇津美を見た。
「でも、いいです。もし戦争がなくなったら、僕が起こします。それがみんなの幸せのためなら」
「――え?」
今、なんて言ったのか。よく聞こえなかった。いや、理解できなかったという方が正しいか。
「そしてまた勝ちます。何度でも。そのために、僕はここにいるんですよね」
よくよく見ると、京介の目にはどす暗い何かが微かに見てとれた。
それは知らぬ間に長い時をかけて結晶化しつつある、そんな歪で強固なもののように見えた。
「君……」
兵部の瞳の奥に根づく何かに名を付けるとしたら、きっと「純粋」だった。
見間違いであって欲しいと思いながらもぞわりと悪寒がした、その時。
「おーい京介!」
下から若い給仕係の声がした。京介が扉に向かって返事をする。
「はーい」
「メシの時間だぞ!準備の手伝いを頼む!」
「すぐ行くよ!……宇津美さん、僕、行くから」
パタパタと足音をたてて入り口に向かおうとする京介に、宇津美も頷いて応える。
「先に行ってておくれ、私もじき食べられるようにここを片づけてから行くから」
「うん……じゃない、わかりました」
「手伝ってくれてありがとう」
「はい!」
軍靴のかかとを合わせ敬礼をする京介に、宇津美は返礼をする。
宇津美が先刻感じた不穏な気配は、本人には自覚ないようだ。くすんだ色をした入り口の扉を閉め、コツコツと音を立てながら階段を降りて遠ざかる音が聞こえていたが、それもやがては宇津美の耳に届かなくなった。
「戦争を、起こす側になる……?」
ぞっとしない話だった。たしかに戦争がなければ居場所がないと思う兵部の境遇も心境もよく理解できたが、宇津美が畏れているのはそれとは違う。
「京介、君は」
閉まった扉に向けて宇津美は呟く。
「もし戦争を望むなら、君はそれを引き起こす程度の力は持っているかもしれない――それが、僕には怖いよ」
確信のない、予感のようなもの。
それが当たらないことを、宇津美はただ祈るしかできなかった。
<終>
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お題:題材[くすんだ,結晶,食べる,すぐ行くよ]一次創作でやってみよう!
一次創作っぽさを出すためにサブキャラの宇津美さん視点にしてみました。む、むずい。そして少年時代のかわいい京介君が書きたいのに、『少佐』のイメージから脱却させてあげられない自分に歯がゆいです。
いつも拍手コメントありがとうございます~。