■ワクチン Vaccine■
朝10時半。大ぶりなビジネスバッグを持った一人の男がロビエト大使館の受付にやって来た。年の頃は40代半ばといったところか。精力的なまなざしが印象的な、いかにもロシア系の長身と顔立ちをした金髪の男で、事実男は流暢なロビエト語を話した。
受付嬢の一人がその話を聞いて内線電話をかける。その先は――。
「――オカマノフ大使。ラトアビア大使館のスカルマキチアナ外交官がお見えです」
大使執務室付きの秘書官が電話で伝えられた用件を告げると、マッスルが椅子を立つ。
「予定通りね。出ましょう、真木ちゃん」
「マッスル、その言葉使いは……」
真木の言葉にマッスルが一つ咳払いをし、わざとらしく背筋を伸ばす。
「わかっているよ。皆の前では普通にしているさ。俺が大使、お前が補佐官。弁えてるつもりだが?」
「なら、いい。外交官との会談場所は?」
真木の質問に答えたのは秘書官だった。
「四階――同じ階の東側の会談室にお通ししてあります」
「わかった」
マッスルは執務机から書類を取ると、ドアを開けて真木へと譲る。
ドアを通る真木は――左足の足首からギプスを覗かせながら車いすに座っており、足には毛布がかかっている。そして自らの両手で車椅子を操作するとマッスルより一足先に廊下へと出た。
外交官は今日本国から日本へ来たばかりとのことで、通り一遍の挨拶を済ませると早速本題に入ってきた。
「それで、先に報告したワクチンの完成品を、手に入れた」
椅子に座ったマッスルと、車いすに腰掛けたままで二人と同様にテーブルに着いていた真木とが顔を見合わせる。口を開いたのはマッスルだった。
「ケド、それは貴国の極秘プロジェクトと聞いてるワよ?」
治癒不可能といわれるある特定の疾患に効くワクチンを、ラトアビアが国の研究機関を使って製造しているという話をもちかけたのが、このスカルマキチアナという男だった。
今ロビエトのとある高官の子供が悩まされているその病に効く特効薬となるその新型ワクチンを提供したい。そしてその見返りに家族とともにロビエトに亡命したい、というのがスカルマキチアナの要求である。
「完成品がここにあるのです。あなた方が悩まれる必要はないと思いますが」
「――そうはいかないんですよ」
真木はテーブルを押すような形で少しだけ車椅子を退がらせながら、ギプスを嵌めているはずの左足を車椅子から降ろす。同時に、その背中から幾重もの影がスカルマキチアナへと向かい伸びていった。
「なっ?!」
慌てて立ち上がろうとするスカルマキチアナの向かいに座っていたマッスルが一足先に立ち上がると、腹の下に手を翳して力を解放した。
「行くわよっ、ビイィーーック・マグナーム!」
「うわっ!足が……!!」
真木の炭素繊維に絡め取られながら、マッスルの技で下半身が硬化して動かなくなる。立ち上がりかけた姿勢のまま、椅子の横へと男は倒れ込んだ。
車椅子のはずの補佐官が、ぴんぴんとした足どりで近づいてくる。
「調べはついてるんだ、ワクチンはまだ開発されていない」
マッスルは真木の言葉を継ぐ。
「それに、貴方に家族なんてものがいないこともね。おおかた、工作員でも潜り込ませるつもりだったんでしょうけど、残念だったわね」
「くっ……」
悔しそうに唇を噛む仕草が、皮肉にも真木とマッスルの言葉の肯定を表している。
「日本経由ならやりやすいと思われたのかしら?けど観念なさいな。本国に行ったあと、あなたの身柄はラトアビアに引き渡されるでしょう」
車椅子は相手を油断させるための偽装だった。毛布の下には、相手がエスパーだった時のことを考えてECMとECCMがセットしてあったのだ。結局、そんな必要はなかった訳だが。
「――真木ちゃん、漢らしい!素敵!!」
「……それはどうも」
スカルマキチアナを念のためESP錠で繋いだまま監視付きの別室へ移し、ラトアビアへの連絡を済ませ二人並んで廊下を歩きながら、苦笑がてら答えた真木だったが、ふと気付いたことがあってマッスルに告げた。
「マッスル」
「なに、真木ちゃん?」
「お前……ずっとオカマ言葉だったぞ」
「あらやだ」
「言った傍から、あらやだ、じゃないだろう……」
目の前の事件は片づいても、補佐官の苦労はもう少し続きそうだった。
<終>
-----
お題:キーワード 87. 極秘プロジェクト 238. 漢らしい 129. 車いす
澪たちが学校に行っている限りマッスルと真木さんはずっとそのままなのでしょうか?謎ですが、とりあえず仕事させてみました。あと分類に困ったのでパンドラオールキャラということでひとつ。
拍手で救える命があります。具体的には管理人の。