■残照 sunset■
運転席に差し込んでくる夕日は運転に不便を感じる程に眩しく、運転席の上側のサンバイザーを下げる。
と、隣に座っている人は眩しくはないのかと運転しながらちらりと見遣ると、兵部は瞳を閉じていた。
二人きりの車内で、寝ているのか、起きているのかは分からない。次の信号で停車するのを待ってそれを確かめることにする。
やがて信号が赤になり、車の列が止まる。きちんと停車したのと安全であることを確認すると助手席側のバイザーに手を掛けて下げる。兵部が目を開ける気配はない。
二人きりの車内で、兵部の長い睫毛の下までサンバイザーが夕陽を遮って影を落とす。
もし今、この瞼を押し上げたならば。
じっと自分を見つめてくる瞳の色はきっと闇の色濃く、深い。
真木の何もかもを見透かしているのに、何も語らない瞳。
いつからだろう、魅了されてしまったのは。きっと出会ったときからそうだったのだろうと今ならばわかる。少し前まではわからなかったけれど。いや、わかっていたのに認めたくなかっただけか。
「……少佐?」
沈黙に耐えかねてひっそりと声をかける。一瞬睫毛が揺れた気がしたが、その目が開かれることはない。かわりに髪をさらりと撫でてみたが、それにも起きてくる様子はない。
二割の落胆と八割の安心をため息にのせてハンドルを握り直す。じき、信号は青に変わった。
『キスとかしないの?』
「!?」
兵部の声のように聞こえて助手席を振り返るも、当人は瞳を閉じて眠ったふりをしたままだ。
そうだ、これは寝たふりだ。その確信があって、真木はふと思い当たって胸ポケットに手を入れる。
『いくじなし』
今度こそこの声がテレパシーによるものだと理解して、真木はポケットから取り出したものを兵部の前に突き出す。流石に今度はその目を開き、少し不満そうに真木の手の中のものに目を落とした。
「……飴?」
「口寂しいなら舐めててください」
紅葉からもらったものだが、構わないだろう。と思ったのだが。
「やだ」
「?」
「それは紅葉が君にあげようと決めたものだろ。やだ。大体飴でごまかそうなんて、葉じゃあるまいし」
「シガーチョコレートでも買えば満足しますか」
「しない!ていうか古い!」
「少佐に言われるとは……」
少なからずショックを受けながら飴を胸ポケットへと戻して車の運転を続けようとすると、兵部がおもむろに自分のシートベルトを外して真木のほうへと身を乗り出してきた。
「ちょっと少佐、危険ですよ」
「うるさいな」
反射的に兵部から退いた肩を掴まれて、足を伸ばしながら真木の唇の端に兵部はキスをした。
「しょ、少佐っ」
視界が遮られる程ではなかったが、集中力に関わる行為である。横目で見る兵部はしてやったりという顔をして助手席に戻るとふんぞり返っている。
「続きはどうする、真木?」
「続き、ですか」
また視界に見える信号が黄色に変わる。それはほどなくして赤に変わり、車はまた停車する。
動揺して頬を赤らめながらも前方を睨むことを止めない真木の視界に割り込むように右腕を伸ばした兵部が言うことには。
「ほら、あそこに看板が出てる。モーテルの」
「モ……」
今運転しているのは車だし、モーターホテルにかわりはないのだろうが、どちらかというと日本でその場所が使われるのはラブホテルという用途のほうが多い。
「ね、行かないの?」
「……」
一瞬の真木の逡巡を見透かして兵部は真木を煽ってくる。真木があまりそういった連れ込み宿みたいなところを好まないのをも知っていながら、だ。
「次の信号を左に曲がると、すぐだって。ほら、信号が変わっちゃうから、それまでに決めなよ」
兵部があまりに楽しそうに笑っているので、一瞬その楽しみを奪って直進してやろうとも思ったが、すぐにやめた。
自分を見る兵部の視線が、ただ注がれているというだけで心地よいのだ。それを独り占めさせてやろうという提案なのだから、心が揺れても仕方あるまい。
真木は深く息を吸い込むと、車の方向指示器(ウインカー)の操作レバーに手を当てた――。
<終>
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お題:、「夕方の車内」で登場人物が「髪を撫でる」、「飴」という単語を使ったお話を考えて下さい。
らぶらぶずっきゅんみたいな。いちゃいちゃは大好物です。
いつもありがとうございます。