■ツイていない日 heart break■
大理石張りの廊下をかつかつと規則正しい足音を立てながら歩く人影がひとつ。ロビエト大使、マスール・オカマノフだ。
とはいえその名前は偽名で、本当の名前を大鎌増夫という。彼の所属する組織パンドラではマッスルという呼び名が一般的だ。
どんな名前でどんな素性かは別として、一応きちんとロビエト大使としての職務はこなしている。長身をスーツに包み胸を張って歩くスマートな姿は、女性秘書官達にも好評だった。
「マッスル……じゃなかった、大使」
「あら、真木ちゃん」
パンドラから補佐官としてマッスルに付き従っている真木が、廊下の向こうから歩いてくる。昼の日差しの入る廊下で、手にはなにやら書類を持ち、難しい顔をしている。あの渋面がなくなれば、女性には今の二割り増しモテるのではないかとマッスルは常日頃から考えている。
「来月の会談だが、三国とも首長は立てられないと言ってきた」
「アラ。確かに今は難しい時期ですものねェ」
二人きりになると、いつもの口調に戻る。仕草まで戻ってしまうのはご愛敬というやつだ。
「例の事故を受けて世界的に海底油田に注目が集まっている。パルト海とパルト三国も他人事じゃないということだろうが」
「対策を立てましょ、今は時間ある?」
「構わない。執務室に行こう」
二人肩を並べて大使の執務室に向かう。
二人きりの会談はものの十分で終わった。
「じゃ、サルモネラ大統領に脅しをかけて……もとい、パルト三国に働きかけてもらうということでいいのね?」
「そうだな。今日は夕方から船に戻るから、後で少佐にも報告しておく」
「少佐なら今日はいないわよ。昨日の夜の取引の結果を報告したいって連絡したら、後日にしてくれって言われたわ」
「それはないだろう。ついさっき少佐から連絡が入って今夜は戻って報告してくれと言われたばかりだぞ」
「え?」
マッスルが眉間に皺を寄せる。と。
「なるほど、そういうことね」
そう言うとニヤニヤと真木を見つめる。
「何が、そういうことなんだ」
「別にィー。アタシが少佐に連絡したのは今朝なのに断られて、その後に真木ちゃんを呼びつけるっていうのは、少佐も罪作りな人よねってコト」
真木はしばしマッスルの言葉の意味を考えこんでいたが、唐突に慌て出す。顔が真っ赤になる瞬間を見計らってマッスルが真木をからかう。
「あーあ、振られちゃったわ。少佐は真木ちゃんのほうがいいんですってー」
「そ、そんなことはだな……」
あたふたと顔を真っ赤にしたまま弁解しようとするが、全く効果がない。
「ほら、いつもの気まぐれかもしれない」
「アタシは気まぐれで断られちゃったってコトかしら~?」
「だからそれは……!その……」
「その、何?」
「す、――すまない。ちゃんとマッスルの分まで報告しておくから」
ようやく呼吸を整えて落ち着いた真木の言葉を、マッスルはまた笑いとばす。嫌味ではなく、純粋にからかうつもりで、だ。
「そんなのいいわよ。それより、アタシを慰めてくれたほうが嬉しいんだけど?」
「ばっ、馬鹿を言うな!」
正直に正面から断る真木を見て、マッスルは椅子に肘をかけて頬をもたれさせた。
「……ま、いいでしょ、こんな日もあるわ」
「どういう意味だ?」
「あまりアタシを困らせないほうがいいわよ、真木ちゃん。それとも真木ちゃんと少佐は今夜ラブラブだって噂をたててほしい?」
「マッスル!」
いつまで経っても真っ赤になったきりの真木を流し目で見ながら、マッスルは心の中でこんな日もあるさと一人ごちた。
一日に別の相手に二度も振られるなんてツイてないわ、と。
<終>
-----
お題:「昼の廊下」で登場人物が「振られる」、「噂」という単語を使ったお話を考えて下さい。
大使館は大変使い勝手の良い舞台でございます。
とはいえ、これは何に分類したほうがいいのか悩みました。マッスル×真木?でも真木×兵部なんだけど・・・という。まぁ結局真木兵部ですねぇと。
クリックで救われる(管理人の)命もあります。お気に召しましたならさあクリック。