■焼き芋 sweet potato■
周囲の空気が湿っている気がする。天気予報では夜半から雨だった。
というのに、携帯電話で呼び出されて迎えにきた紅葉は路地裏でしゃがんでいてこちらの到着に気づきもしない。
「紅葉!」
少しの苛立ちを隠しながら名を呼ぶと、紅葉が途方に暮れた顔をして真木を見た。
「真木ちゃん、どうしよう……」
「どうした」
紅葉に近寄ってみると、紅葉は何やら路地裏に置かれた段ボール箱を覗き込んでいる。
そこには、茶色くて、両手の平で抱き上げるとちょうどいい程度の大きさを持った子犬がいた。
「捨て犬か。――どうして無視しない」
「あたしのこと見つめてたんだもの。仕方ないじゃない」
紅葉の言うことも分かる。真木だって小さい頃一度ならずこういった出会いはあった。そして涙を呑んで別れを告げるのだ。
「言っておくが、カタストロフィ号では――」
「わかってるわ。飼えないわよね、うん。……ねぇ真木ちゃん、ドックフードか何か持ってない……わよね」
「あるか!――ん?」
そういえば、と真木はGPS追跡装置の入ったバッグの中を覗き込むと、がさがさと紙袋を取り出した。
「これなら食べるだろうか」
「なあに?」
手渡された紙袋の中身をあらためると、ちょうど美味しそうに焦げ目のついた大ぶりな焼き芋がひとつ入っていた。今は冷えてしまっているが、それでも真ん中から割るとほっくりとした色が食欲をそそる。
「じゃ、あげてみましょうか。食べるかも」
割った芋の片側を段ボール箱の中にそっと置くと、犬は一度匂いを嗅いだ後にむしゃむしゃと食べ始めた。
「見て真木ちゃん、食べたわよ!」
「ああ、食べたな」
そう告げる真木の頬が緩んでいるのを見て紅葉が笑うと、真木は真顔に戻る。
「どうした」
「べっつにー。まんざらでもない癖に」
「何がだ?――そうだ」
「?」
真木は路地に他の人がいないかどうかを確かめると、髪の毛が目の前に、正確には段ボール箱の上に収束して、黒い傘状のものに段ボールが覆われる形になって髪の毛だけが離脱する。炭素繊維で編み込んだ小さな傘があとに残った。
「雨が降りそうだったからな」
「真木ちゃんグッジョブ」
言いながら紅葉は手に持っていた焼き芋の残りを真木に差し出す。
「残りはどうする?真木ちゃん食べる?」
「いや、俺はいい、紅葉が――あ、そういえば」
真木が顎に手を当てて考え出したので、紅葉がその顔を下から覗く。
「どうしたの?」
「いや、実はこの焼き芋は少佐から食べろと渡されてな、それが紅葉のためだからとか。どういう意味だったんだろうあれは」
紅葉には心当たりがないわけではなかったが、少し様子を窺うと真木は尚も言葉を続ける。
「なんでももう30キロ太れとか……」
こらえきれなくなった紅葉が吹き出すと、真木はあいかわらずきょとんとした顔で紅葉を見つめていた。
「20歳老けろとは言われなかった?」
「何故わかる」
やれやれ。どうやら兵部には今日のことはバレているらしい。
「真木ちゃん」
「ん?」
「妬いた?」
「は?」
今日何度目になるのか、相変わらずわけのわからないという顔で紅葉を見てくる真木だったが、ふと気付いた、という顔になると。
「犬にか?」
「どうしてそうなるのよ?」
ぷくく、と笑いながら紅葉がその場を後にすると、真木もそれについてくる。
一度だけ去り際に紅葉は振り返る。――いい飼い主に巡り会えますように。
あとに残された段ボール箱の犬には、あえて目を合わせなかった。
<終>
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お題:「夜の路地裏」で登場人物が「見つめる」、「犬」という単語を使ったお話を考えて下さい。
こういうの偽善だと知りながらやらずにいられない人というのは美しいのではないかと思ってみたり。