■未来 future■
葉が冷たい。
もっとも、葉に限らず紅葉も真木もよそよそしい。
「まぁ残りの生命エネルギー使っちゃったら僕死んじゃってたしね」
残り少ない生命エネルギーをあのバベルの坊やに注いでチルドレンたちと同じ時間を送らせる。兵部の提言は結果として却下された。
生命エネルギーを失うことは死を意味する。兵部は自ら死を選んだも同然なわけで、それを知ったパンドラのメンバーの態度が冷たくなるのは道理のように思えた。
「名案だと思ったのになあ」
後でフォローしなければなるまいと思いながら、兵部は和室の畳の上に寝転がって惰眠を貪っていた。部屋に戻ったら誰かが自分を訪れてくるかもしれない、それが少し嫌だったのだ。もっとも和室にいたところで誰かがやってくる可能性は同じなわけだが。
ゆっくりと目を閉じた兵部の耳に雨の音が届く。どうやら降り始めてきたらしい。意識を雨の音だけに集中していると、また睡魔が襲ってきた。が。
ドスドスドス。バーン!
足音高く扉を蹴り倒す勢いで誰かが部屋にやってきた。兵部は重い瞼を開いて闖入者を確認した。
「葉」
「ここにいたのか、ジジイ」
「……もう口をきいてくれないかと思ってたよ」
ごろんと寝転がって葉のほうを向くと、葉が頬を膨らませる。
「そりゃ俺だって怒ってるよ?トーゼンじゃん」
「だよね」
「でも言って聞く人じゃねーのはわかってる」
「どうしたの、オトナじゃん」
「俺だってオトナになるよ」
トス、と軽やかな音を立てて葉は寝そべったままの兵部の隣に座って、更に屈み込む。
「ジジイはさ、もっとジジイらしくしてていいんじゃねーの?」
「ちょっと、ジジイはやめろっていつも言って――」
言葉は続けられなかった。葉の唇が兵部の唇を塞いだからだ。
「――ん――」
啄むだけのキス。兵部が目を開けて葉と目が合うと、葉は唇を離して身体を起こした。
「ジジイって生き物は、子供に囲まれて幸福になるって相場は決まってるじゃねーか。黙ってりゃそうなるだろ?それまでじっとしておけよ」
「――それは無理だよ」
自分がこの年になるまで生きてきたのには相応の理由がある。三人の女神達を見守り、育て、導くこと。パンドラの存在そのものすらそのためにあるのだ。
チッ、と葉は舌打ちする。
「ガンコジジイ」
「せめて、今回みたいな心配はかけないようにするよ」
「どーだか。あんた、あのガキどもの事になると見境ないから」
葉のとげとげしい言葉に兵部は苦笑で返す。ほかに今の心情を訴える手だては見つからなかった。
雨の降る音だけが二人の空間を満たしていく。
「勝手に死なないでよ」
「……優しい子だね、葉は」
葉がこんな言葉を待っているのではないことくらい分かっている。けれど葉の望むような言葉は、何を言っても嘘になる。
そんな心情を見透かしてか、葉は兵部に背を向けた。
「……いつまでも、俺らのそばにいてよ」
小さな頃から一緒だった、葉にとって兵部は親でありそれ以上のものでもある。そう育ててしまったのは自分だ。
だから今だけでもその責任を果たそう。兵部は身体を起こすと葉の背中を抱いた。
「今だけは、こうしてそばにいるから」
「……うん……」
わかっている。本当は単なる詭弁であることも。
わかっている。葉がそれを見透かしてなお、自分を責めずにいることも。
すべて、兵部にだってわかっていた。そして雨だけが全てを見ていた。欺瞞も、偽りも、優しさも。その全てを。
<終>
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お題:「昼の畳の上」で登場人物が「幸福になる」、「雨」という単語を使ったお話を考えて下さい。
「オーバー・ザ・フューチャー」アフター葉編。真木編はコピー本で出したので、紅葉編とかも後で描けるといいなあ。
お返事