■夕焼けの後で Evening glow■
時刻はもう夕方で、陽は傾きホテルの影を長く地上に伸ばしている。
兵部と二人で空調のよく効いた部屋に入ると、季節のフルーツの盛り合わせが置いてある。おそらくスイートルーム利用のサービスだろう、葉が無造作に素手ですいかを取る。兵部は行儀の悪さに一瞬目を細めたが、何も言わずに備え付けのクローゼットを開く。
葉がクローゼットの中を兵部の肩越しに確認すると、黒い学生服一式が仕舞われていることに苦笑いする。ここで着換えてから研究所へ行ったのだ。しかも荷物を見ると一着ではない。
「今日は戻らないつもりだったのかよ?」
「まあ、そんなとこ」
ふ、と遠い目をした兵部が今来ているのは何の変哲もないTシャツに、普通は見ることもないであろうバベル特製サイバーテロ用の防護服、そのつなぎを腰下で袖を括るようにして着用している。朝方、ミーティングの後に行方不明になって、四方八方手を尽くした果てに、葉が彼を見つけたのはプレコグから通達のあったチルドレンが出動する仕事の場所、某生物研究所だった。
「まーた俺らよりバベルのガキどもを優先しちゃって」
「拗ねるなよ。真木には僕から謝るからさ」
「当然」
すいかを食べ終えた指先をぺろりと自分で舐めて汁気を拭うと、葉はあたりを見回した。何かが足りないと思っていたら。
「ちっこいの……桃太郎は?」
「先に帰らせた。というか、君はどうして僕の言うとおり戻らないのさ、葉」
兵部は桃太郎だけでなく葉にも先に戻れと命令していたが、葉が頑として兵部との同行を望んだため、「葉と二人で用事があるので今日は遅くなる」との伝言を持たせて帰らせたのだ。
「怖くなったんだ」
「……?」
柄にもない単語が葉の口から告げられたことに兵部は目を丸くする。葉はそれを見ながらベッドに浅く腰掛けた。
「アンタのことだから、いつ突然いなくなってもおかしくないだろ。今日ずっと一日中あちこち探してたら、だんだん、もう見つからない、二度と会えないみたいな気がして――」
「……馬鹿だね、葉は」
葉のすぐ目の前にやって来た兵部が、膝を折って葉と同じ目線の高さにしゃがみ込むと、目を合わせることなく互いの頭を互いの肩口に押しつけた。
「僕は今ここにいるじゃないか」
「うん」
言葉では肯定しながらも、葉は心の中で兵部の嘘を重く受け止める。兵部は今日は戻らないつもりだったのだ。どんな精神的作用があって誰にも何も言わずにホテルに部屋を取ったのかは分からない。迎えに来たのが自分でなければ、誰も迎えに来なければ、自分が駄々をこねてホテルについてこなければ、兵部は誰の目も届かないところで一夜を明かしていたのだ。
いっしょくたになった面倒くささと不安を持てあましながら一日中兵部を捜しつづけた葉の心は、自分でも驚くほど子供じみた怒りと恐怖とに支配されている。そしてきっと、兵部はそれを見抜いているに違いないのだ。
兵部の背中に手を回してきつく抱くと、苦笑いの吐息が葉の肩口をくすぐる。
「痛いよ、葉」
「駄目。今日はもう離さない」
本当に朝まで絶対に離さない。そう決心しながら兵部の身体をベッドへと引き上げると、なんの抵抗もなく兵部は葉に身体を委ねてきた。
そのしなやかな身体をベッドの上で再度かき抱く頃には、陽はもう完全に落ち、夜の帳が部屋の中を覆いはじめていた。
<終>
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お題:「夕方のホテル」で登場人物が「怖くなる」、「すいか」という単語を使ったお話を考えて下さい。
たまに浮かんでくる葉×兵部。
もえもえきゅんきゅんはえはえの回が夏かどうかはわかりませんが、夏ってことにしてみました。
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